2026/08/07
「会社を辞めたい」 “代打”で家業に入った弟が兄の言葉に号泣 退社撤回して3代目継承
■長坂養蜂場の専務・長坂恭輔さん 上京先に父親が初の訪問
スタートは兄の「代打」だった。兄弟経営の難しさを痛感し、一度は会社を離れようと考えた。しかし、今は兄弟で3代目を歩んでいる。静岡県ゆかりの人たちの人生をたどる特集「My Life」。第24回は、浜松市にある「長坂養蜂場」で専務を務める長坂恭輔さん。年間45万人が来店する人気店に成長させた社長と専務の兄弟には、大きな転機があった。【全2回の前編】
パンやヨーグルトだけではない! 長坂専務オススメ ハチミツの意外な食べ方
言葉は必要なかった。初めての訪問は、状況がいかに切迫しているのかを悟るのに十分すぎた。
今から22年前の2004年、東京で暮らす長坂恭輔さんのアパートに父・光男さんが訪ねてきた。大学進学で東京に出た長坂さんは、そのまま東京で就職。一人暮らしをしてから8年間、父が顔を出すのは初めてだった。長坂さんが回想する。
「東京に出てから、父とは電話で話すこともほとんどありませんでした。母の体調については把握していたので、父がわざわざ東京にまで来た理由は想像できました」
長坂さんの実家は、浜松市で「長坂養蜂場」を営んでいる。養蜂場で採ったハチミツや、そのハチミツを使った商品を販売し、店舗には年間45万人が来店する。

ハニー・オブ・ザ・イヤーで優秀賞を獲得した「三ヶ日みかん蜂蜜」(公式HPより)
■移転直後に「母が倒れた」の連絡 店の大黒柱を欠く大ピンチ
長坂養蜂場は1935年に創業し、現在会長に就く長坂さんの父は2代目にあたる。長坂さん兄弟が入社する以前、長坂養蜂場は家族・親族による小規模な運営だった。現場の中心にいたのが、母・貴子さんだった。店舗運営に加えて、従業員の精神的な支柱でもあった。
母が倒れた――。
長坂さんが知らせを受けたのは、父がアパートを訪ねてくる数週間前だった。母が体調を崩して倒れたのは、売場面積を大幅に広くした今の店舗に移転したばかりの時期。大黒柱の母を欠き、10人に満たない従業員で対応するのは想像以上に厳しかった。
父が最初に頼ったのは、長坂さんの兄で現在社長を務める善人さんだった。別の会社に就職していた善人さんは父の依頼を受け、実家に戻ると決めた。ただ、「養蜂の修行」を条件に挙げた。全く未経験の家業を継ぐ前に、養蜂について学ぶ時間が必要だと考えたのだ。
善人さんの入社は心強い。ただ、修業期間は約2年に及ぶため、長坂養蜂場が直面する喫緊の課題解決にはつながらない。そこで、“抜擢”されたのが次男の長坂さんだった。父から「今の仕事を辞めて、戻ってきてほしい」と頭を下げられた。

浜松市に店舗を構える長坂養蜂場
■DJの夢をあきらめて転職 母親の体調不良で家業に入る決断
長坂さんは当時、都内にある総合カタログの通販会社に勤務していた。学生の頃から家業に入る選択肢は考えておらず、大学卒業後はモバイルコンテンツを配信するベンチャー企業に入った。その頃、夢も追っていた。それはDJだった。アパートはレコードがいっぱいで、夜はクラブに通った。「いつかDJ一本で生活したい」。大好きな音楽を仕事にする未来を描いていた。
しかし、現実は甘くない。DJの世界を知るほど、プロの道は険しいと知った。当時、26歳。夢をあきらめて、総合カタログの通販会社に転職する道を選んだ。そこでは、カタログに載せる商品をリサーチする企画開発を担当した。
母が倒れたのは、通販会社で働いて2年ほど経ったタイミングだった。父から事情を聞いた長坂さんは、実家に戻ると決めた。
「通販会社の仕事はおもしろかったので、ずっと続けるつもりでした。ただ、DJの夢が破れたことで、東京でなければいけない理由はなくなっていました。母が倒れて実家が大変なのは分かっていたので、戻った方が良いと思いました」
最初は、兄弟で週末だけ浜松に戻って実家の手伝いをする形だった。だが、それでは根本的な解決につながらないと感じ、仕事を辞めて浜松に戻り、家業に専念することにした。

兄とともに長坂養蜂場の3代目を継いだ長坂専務
■会社が順調に成長する裏で… モヤモヤが限界「会社を辞めたい」
実家とはいえ、どんな事業を展開しているのか全く把握していなかった。長坂さんは養蜂や商品開発から製造管理や店舗での販売まで、あらゆる業務を一通り学んだ。
長坂さん兄弟が長坂養蜂場に加わり、会社の成長は加速した。特に力を入れたのが商品開発だった。これまで販売していたのはハチミツやロイヤルゼリーといった王道の商品だけだったが、ハチミツを使ったスイーツやドリンク、さらにオリジナルキャラクター・ぶんぶんのグッズなどアイテム数を100以上に増やした。
従業員数や売上は増え、会社は順調そのものに見えた。しかし、長坂さんのモヤモヤは膨らんでいた。そして、2010年、不満と我慢は限界に達した。家族が集まった役員会で、こう告げた。
「会社を辞めたいと思っています。起業して自分で事業を始めたい」
■「自分の意見が通らない」 兄弟経営の難しさを痛感
周りは全く予期していなかった「退職宣言」。しかも、経営理念「ぬくもりある会社をつくりましょう」を新たにつくったばかりのタイミングだった。会社の方向性が定まり、母親の体調も回復していた。それなのに――。当然のように、長坂さんは家族から猛反発を受けた。
「家族でつくった理念なのに、会社を辞めるとはどういうことなのかと言われました。母は色んな人に相談して、また体調を崩してしまうのではないかというくらい悩んだみたいです」
長坂さんが退社を決めた理由は、兄弟経営の難しさにあった。長坂養蜂場に入社する前から、周囲に散々指摘された問題だった。2歳年上の兄からは「お互いの意見をぶつけ合って、いいものをつくっていこう」と何度も声をかけられた。しかし、意見が対立すると、最終的に長坂さんの考えは取り入れられなかった。
「組織の中で兄弟の関係性は変えられないと感じる部分が大きかったです。もちろん、組織の最終決定権は上の立場の人にあります。私は議論した結果、お互いの意見の良いところを生かした結論や全く新しい結論を出したいと思っていました。でも、私の意見が通ることはありませんでした。この会社にいても、自分のやりたいことを実現するのは難しいと感じていました」

兄弟で長坂養蜂場を経営
■兄弟で対立する方針 兄の“代打”を終えて独立を模索
例えば、兄から長坂養蜂場をどんな会社にしていきたいかを問われた時、長坂さんは「規模は小さくて構わないから、働いている人たちがやりがいや充実感を持てる仕事をつくり出したい」と答えた。だが、兄からは「会社を継ぐ以上、もっともっと大きくしていかないといけない」と否定された。
商品開発では、ハチミツの量をめぐって対立したこともあった。長坂さんは自慢のハチミツを生かした商品にこだわりながらも、コストを抑えた商品の開発も必要と説いた。それに対し、兄からは「ハチミツ100%は大前提で、その他糖類を使う商品は考えられない。養蜂場のプライドはないのか」と一蹴された。長坂さんが振り返る。
「兄は元々、大きな企業で修行をしていたので、その学びを生かして会社を大きくしたかったのだと思います。兄弟で価値観に違いがあるのは良いですが、真っ向から否定されるのはどうなのかなと。商品に関しても、おいしいと感じてもらうためにハチミツ以外の素材を取り入れたり、手に取りやすい価格帯のものも並べたりすることで、お客さまの暮らしが豊かになると主張しました。大小様々なことで兄に押し切られて、段々と窮屈になりました」
それから、もう1つ、長坂さんには会社を辞めようと考えた理由があった。自分の役割を終えたと感じたのだった。
「私が実家に戻ったきっかけは、兄が修行に行っている間の代打でした。母の体調も回復し、経営理念が決まり会社の方向性が固まって、自分の役目を果たせた思いもありました。今度は独立して、自分の力を試してみたい気持ちが強かったです」

店内に陳列されたハチミツ(公式HPより)
■兄に招かれた研修会 プレゼン中に予想外の「ごめんなさい」
長坂さんの心は独立で固まっていた。そんなある日、研修で大阪に行っていた兄から電話がかかってきた。
「あす、研修会場に来てほしい」
その研修は、最終日に同じ会社の人を1人呼ぶルールがあった。長坂さんは気が進まなかったが、研修の内容を知らされることもなく大阪へ向かった。
研修最終日は参加者が1人10分ずつ、今後の会社のビジョンを披露する時間が設けられた。長坂さんは会場で、それぞれの参加者のプレゼンを見ていた。順番が回ってきた兄は、予想通り新しくつくったばかりの会社の理念について語り始めた。
異変が起きたのは、プレゼンが始まって5分ほど経った時だった。スライドのテイストがガラッと変わり、画面いっぱいに長坂さんの写真が映し出された。状況が理解できない長坂さんは困惑した。そして、突然、これまでとは全くトーンの違う兄の声が耳に届いた。
「ごめんなさい」
その言葉は、兄から弟に向けた謝罪だった。会場には研修の関係者や、長坂さんと同じように研修の参加者から呼ばれた人たちが集まっていた。そんな中、恥もプライドも捨てて、兄は頭を下げて謝った。謝罪の理由は、長坂さんが退社して独立しようとした原因が自分にあると気付いたからだった。

長坂養蜂場に入社した経緯などを話す長坂専務
■兄からの謝罪に大号泣 喜びと反省が交錯
兄の姿を見た長坂さんは、涙が止まらなかった。あふれ出す涙を制御できない。嗚咽を漏らして号泣した。
「人生で初めての体験でした。兄のプレゼンが終わっても泣き続けて、何で泣いているのか分からなくなるほどでした」
静岡に戻ってから数日間、頭と心を整理して涙の理由を考えた。そこには、2つの理由があった。長坂さんが語る。
「理由の1つは、兄が自分を弟としてではなく、1人の人間として見てくれていた喜びでした。そして、もう1つの理由は、自分自身に対する恥ずかしさと反省です。兄の姿を見て、いかに私は自分本位だったのか気付かされました」

創業91年を迎えた長坂養蜂場(公式HPより)
■兄弟で3代目を継ぐ覚悟 ぬくもりのある会社へ二人三脚
長坂さんは、自分の意見を貫くために独立しようと考えた。だが、それは利己的だったと気付いた。利他の思いで動いている家族とは対照的な自分を恥じ、猛省した。
「兄は自分が間違っていたと研修会場で謝罪するほど、私に本気で向き合ってくれました。母は再び体調を崩しそうになるくらい、私のことを心配していました。兄のプレゼンを見て、家族で会社を経営する意味、兄弟で家業を継ぐ意味を考えました。私も、両親や兄のように生きたいと価値観が変わりました。その時、初めて兄弟で長坂養蜂場を継ぐ覚悟ができました」
兄弟の関係性は目に見えて変わった。2人で様々な企業を視察して、自社の改善につなげた。「どうしたら一緒に働くスタッフたちが幸せになるのか、ぬくもりのある会社を目指して兄弟で前向きに進んでいけるようになりました」。長坂さんの迷いは消えた。兄と弟は主従ではなく、長坂養蜂場の両輪となっている。【後編に続く】
(間 淳/Jun Aida)








