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2024/11/23

製紙メーカーが商社!? 変化を恐れない柔軟な経営 中学生で宣言した社長を実現

■大学時代に父の死を乗り越えて ぶれなかった目標

取引先からは「本当にメーカー?」、「一体、何の会社?」と冗談交じりにたずねられる。静岡県ゆかりの人たちが歩んできた人生をたどる特集「My Life」。第18回は、富士市にある新橋製紙の山﨑豊会長。日本で初めてトイレットペーパーを製造・販売した新橋製紙は、製紙メーカーでありながら商社のような事業も展開している。自社製品以外に扱う日用品は1000点以上。大企業の家庭紙参入やペーパーレス化によって倒産に追い込まれる中小企業が少なくない中、新橋製紙が発展している理由は山﨑会長の変化を恐れない柔軟な経営にあった。

 

【写真で見る】常識を変える 新橋製紙のギフト用トイレットペーパー

 

社長になると宣言したのは中学生の時だった。道路の舗装をする会社で役員として勤めていた父の姿を見ていた山﨑会長は、自身も経営者になると疑っていなかった。「俺は将来、社長になると周りに言っていました。父親の力も借りて自らの会社を設立するつもりでした。それ以外の道はないと思っていましたね」。社長のイメージを膨らませながら、学生時代は化学や土木を学んだ。

 

ところが、大学在学中に父が他界した。それでも、社長になる目標はぶれなかった。「1人で頑張るしかないか」。自力で道を切り開くしかないと思っていた時、新橋製紙の先代の会長から「うちの会社で働かないか?」と声をかけられた。先代の会長と山﨑会長の母親は、いとこ関係にあった。

 

もちろん、製紙業についての知識はない。土木の会社を設立して経営者になるビジョンを描いていた山﨑会長にとっては異業種だったが、住んでいた横浜市から縁のない富士市への移住を決めた。「将来社長になれるかもしれないと安易に考えて入社しました」。山﨑会長が当時を振り返って笑う。

富士市にある新橋製紙の工場

■10年間の工場勤務で学んだ製造業の基本 営業経て38歳で社長に

はっきりとした社長像があってスタートしたわけではない。それでも、入社してすぐに会社の全てを理解しなければ、経営者にはなれないと気付いた。社長には製品を求める取引先や消費者の期待に応え、従業員の生活を背負う重い責任がある。山﨑会長は入社してから10年ほど、主に製造工場で働いた。現場を知らなければ、経営はもちろん、営業もできないと考えたからだった。

 

「営業先で相手の方が紙について詳しいのは恥ずかしいですから。質問に答えられないことがないように、現場で仕入れから製品が完成するまで工程を学びました」

 

新橋製紙は古紙を原料としてトイレットペーパーやペーパータオルをつくり、取引先まで製品を直接届ける一貫メーカー。古紙を集めるところからトラックで配送するところまで、山﨑会長は全ての工程や会社の強みなどを熟知してから営業に部署を移した。

 

6年ほど営業担当を経験し、38歳の時に社長に就任した。中学生の頃から口にしていた言葉が、ついに現実になった。だが、喜びや達成感はない。頭の中を締めていたのは危機感だった。

 

「このままトイレットペーパーとペーパータオルを製造するメーカーとして残っていけるのか不安がありました。大企業が家庭紙に参入したことで、中小企業は淘汰されていましたから」

安心・安全に配慮したトイレットペーパーを製造

■時代の変化と大手の参入 次々と淘汰される中小企業

紙のまち・富士市には製紙業の会社があふれ、面積当たりの煙突の数が日本一になるほど工場が多かった。1949年に新橋製紙が日本で初めてのトイレットペーパーを開発し、その後に水洗トイレが普及していくと、ちり紙の製造からトイレットペーパーへとシフトする企業が増加。ここで、トイレットペーパーに移行する決断ができなかった企業は淘汰された。

 

中小企業の経営者が、こうした決断を迫られる場面は度々訪れた。スーパーが台頭してきた時も同じだった。買い物の習慣は地元の商店から、何でもそろっているスーパーへと移っていった。消費者の傾向が変われば、流通にも変化が起きる。小売店と取引きする問屋は経営が苦しくなり、小売店に商品を卸していたメーカーも売上が落ちて倒産に追い込まれた。

 

時代の移り変わりで新聞紙や段ボールの売上が不調になった大手企業が家庭紙に本格的に参入したことで、競争は激化した。勝負に敗れた中小企業が次々と姿を消していく。山﨑会長の不安が現実となった。

 

介護施設や宿泊施設などで使う業務用の製品に特化していた新橋製紙は、量販店向けの競争に巻き込まれなかった。目先の利益を考えれば、量販店向けの製品を販売する選択肢はあった。だが、山﨑会長は「資金力のある大手企業が最新の機械を導入して大量生産し、製品の価格を下げられたら太刀打ちできないですから」と業務用一本の方針を貫いた。

荷物の積み下ろし作業をする山﨑会長(左)

■「どこかで行き詰まる」危機感 活路を見出した商事・通販

家庭紙の業界で事業を継続させながら、山﨑会長は次の一手を考えていた。そして、15年ほど前から始めたのが、取引先から購入した商品を別の取引先に販売する商社の役割を担う事業だった。

 

「製造業だけでは、どこかで会社として行き詰まると感じていました。家業の製造業を残しながら商売を続けていくためには、第2、第3の柱を持たないといけません。私たちの会社であれば商事や直販でした」

 

山﨑会長は業務用に特化したトイレットペーパーのメーカーだからこその強みを生かす新たな事業を始めた。例えば、新橋製紙がトイレットペーパーやペーパータオルを販売する手袋のメーカーから手袋を購入し、それを取引きのある介護施設や病院に販売する。

 

手袋のメーカーには介護施設や病院といった販路がなくても、新橋製紙を仲介することで新たな販売先が増える。つまり、新橋製紙が間に入って、それまで縁のなかった企業をつなげていく。仕組みはシンプルだが、この事業を拡大できるのは新橋製紙の武器が最大限に生かされているからだ。山﨑会長が説明する。

 

「どんな企業にも必ずトイレがあります。トイレットペーパーを使わない企業はないんです。業務用のトイレットペーパーやペーパータオルを製造している私たちの会社は、あらゆる職種の企業を取引先にできます」

■取引先と自社の双方にメリットある事業 変化を恐れない経営

自社のトイレットペーパーを買ってもらうだけでは、取引先との力関係に強弱がつきやすい。だが、お互いの商品を購入することで双方にメリットが生まれ、関係性は深まる。山﨑会長は、こう話す。

 

「良い商品は売れますが、いずれ飽きられてしまいます。人間関係が構築されるとパイプが太くなり、商売は続いていきます。人とのつながりが経営の基本だと思っています。自分たちだけ得をしても駄目なんです。みんなに必要とされる企業を目指さないと」

 

日本初のトイレットペーパーを製造したメーカーであれば、トイレットペーパーの販売に固執しがちにみえる。ところが、山﨑会長は「家業は大事にしないといけませんが、経営が成り立たないなら取り込んで邁進しても構わないと思っています。時代の流れには抗えません。会社は変化しなければ生き残れません」と力を込める。

 

変化を恐れない柔軟性は人材獲得にも表れている。山﨑会長は社長の最大の役割は「人脈づくり」と言い切る。従業員らから「おもしろい人材がいる」と聞けば、全国どこにでも飛んでいった。前身の山﨑材木店の時代を含めれば115年続いている企業であっても、伝統を守り抜くより“外の血”による変化を好んだ。

ギフト用のトイレットペーパー「富士山ふふふロール」も製造・販売

■異業種の経営者からヒント SE採用で営業マンの負担軽減

異業種の知恵を積極的に取り入れるスタイルは、従業員の構成にも表れている。5年ほど前、山﨑会長はシステムエンジニア(SE)を初めて採用した。きっかけは、トイレットペーパーの販売を通じて親交を深めた介護業界の経営者だった。一緒にお酒を飲んでいる時、業績が急激に伸びた理由をたずねると「ソフト会社を吸収したことかな」と答えが返ってきた。営業マンが行っていた事務処理を代わりにSEが担当することっで劇的に業務のスピードが上がったという。

 

その企業は新橋製紙よりも規模が大きかった。山﨑会長は話に納得しながらも「うちくらいの大きさの会社にSEは必要なのだろうか」と迷いがあった。ある時、転職先を探しているSEと接点を持つ機会があった。「もし、この人材が新橋製紙に加わったら」。山﨑会長は話をしながらイメージを膨らませ、答えを出した。「うちの会社で働かないか?」。新橋製紙初のSEが誕生した。SEの効果は想像以上だった。これまで外部に発注していた事務的な仕事を任せると、スピードも質も格段に向上した。山﨑会長が語る。

 

「社内のトラブルは一気に減りましたし、営業担当の希望がすぐに形になりました。それまでは外注していましたが、SEにスキルがあったとしても業界や社内の事情を理解できていないので、精度やスピード感に欠ける課題がありました」

 

事務処理の負担が減った営業マンは取引先との関係を深めたり、新規の取引先を開拓したりする“本業”に集中できるようになった。山﨑会長はデジタルに明るい人材を増やし、他の業務でも社内の課題を解決する1つの方法として専門知識のある人材を外部から引っ張った。

 

「変化を恐れていては前に進めません。他の業種にも目を向けて、人との関わりを広げていくとヒントが見えてきます。良いものは他から吸収することもあります。上手くいくケースばかりではありませんが、何事もやってみないと分かりませんから」

■本業への執着よりも「時代に合わせた事業展開が経営」

家庭紙を製造する中小企業が次々と倒産に追い込まれる中、なぜ新橋製紙は生き残っているのか。山﨑会長に問うと、視線を天井に向けて10秒ほど考え込んだ。そして、口を開く。

 

「周りの会社を見ると、放漫経営で倒産したところはほとんどなかったです。みんな一生懸命やっていました。取引先が潰れる不運があったり、時流に乗れなかったり、うちの会社と紙一重だったと思います。もし、違いを挙げるとすれば、チャレンジ精神や柔軟性かもしれません」

 

変化に対応できなければ淘汰される。それは生物の世界だけではなく、企業も同じ。山﨑会長は言う。

 

「周りからは『お前の会社はメーカーなんだよな?何やっている会社なのか分からない』とよく言われました。私は、それで良いと思っています。企業は生き残ることが一番大事です。メーカーだからといって製造に執着するよりも、時代に合わせた事業を展開するのが経営だと考えています」

 

10年、20年後は売上に占める自社製造品の割合が小さくなり、周りから商社と認識されているかもしれない。ただ、その根底にはトイレットペーパーの製造・販売をきっかけに生まれた縁があり、会社として進化した姿と言える。事業内容と社名にギャップが生まれても構わない。変化を恐れない新橋製紙の精神は引き継がれていく。

 

(間 淳/Jun Aida

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