2026/07/01
農園が企業研修や教育の場に あえて残す“不便さ” 新しい学びの形「ファームケーション」

相模湾を望む「たからのはたけ」
■異色の経歴から農家へ転身 熱海市の「たからのはたけ」
農園は作物を育てる以上の可能性を秘めている。静岡県熱海市泉地区の農園「たからのはたけ」で、農業の枠を超えた場所づくりが進んでいる。目指しているのは企業の研修、子どもたちの体験学習、地域の交流など、それぞれの目的に合わせて活用できる農園の新たな形だ。
【写真で見る】「たからのはたけ」を運営する夫婦は異色の経歴 いくつものハードルを乗り越えて農家に転身
「たからのはたけ」を営む説田慶樹さんと有佳さん夫妻は元々、東京で人事・組織コンサルティングやヘッドハンティングの仕事に携わっていた。国内外の企業と向き合い、人材や組織の課題解決に取り組む日々。心身への負担が限界に達した有佳さんはマレーシアへ渡り、現地で農業と出会った。
新型コロナウイルスの感染拡大で、マレーシアで進めていた農業の事業化は断念せざるを得なかった。それでも、農業への思いは帰国後も消えなかった。慶樹さんは伊豆の国市の自然農法大学校で学び、2022年春に夫婦で「たからのはたけ」を始めた。
熱海駅から車で約15分。神奈川県湯河原町との県境に近い泉地区にある農園では、アボカド、ミカン、梅、キウイ、イチジク、プラムなど、多様な作物を育てている。

ワークショップで参加者に話しかける有佳さん
■教育の場にも活用 農園の特徴生かす「ファームケーション」
説田さん夫妻が農園の運営で力を入れているのが、「ファームケーション」という考え方だ。農園を意味する「ファーム」に、レクリエーション、バケーション、ワーケーション、エデュケーションなどの要素を組み合わせる。単なる収穫体験ではなく、農園の環境を通じて、人が学び、考え、関係性を築く時間をつくる。有佳さんは「企業の研修でも子どもたちの活動でも、様々な形でこの場所を活用してほしいと思っています」と話す。
農園という「場」を開き、訪れる人がそれぞれの目的に合わせて使う。そこに新たな価値が生まれると説田さん夫妻は考えている。その背景にあるのは、かつて農家が担った役割だ。慶樹さんが語る。
「日本の歴史を振り返った時、地域の中心で動いていたのは農家でした。農家に人が集まり、祭りをはじめとする季節の行事や地域の営みを支える役割があったと感じています。農園は作物を生産する場所にとどめず、今の時代でも人がつながり、学びを得る場所になれると考えています」
農園の活用として、2人は特に「教育」を重視している。塾に通って受験勉強に没頭するだけではない学習。慶樹さんは地方での子育てや教育について「里山らしさと、東京と遜色ない勉強の両立」を理想に掲げる。勉強そのものはオンラインでもできる時代になった。一方で、漁業や農業、林業といった一次産業の現場には、都市部では得にくい本物の体験がある。
有佳さんも、農園での時間を「本物の体験型学習」と捉えている。子どもたちが土に触れ、農家や職人、地域の大人たちと出会う。その中で、将来の担い手が育つかもしれない。一次産業の現場を活用した教育モデルと、首都圏から多様な職業の人が集まる場をつくることで、東京とは違った教育環境を生み出せるのではないかと考えている。

子どもたちにミカンの収穫方法を説明する慶樹さん
■企業研修にも有効 不便さや不慣れから学び
農園は、企業で働く大人にとっても学びの場になる。慶樹さんは「狭く固定化された人間関係や評価の中だけで過ごしていると、人の成長が止まってしまうと感じます」と指摘する。普段とは違う場所で慣れない農作業に向き合い、思い通りにいかない経験をする。そこで得た気付きが、元の組織に戻った時の発言や行動の変化につながるという。
「たからのはたけ」では、あえて不便さを残している。バーベキューもできるが、グランピングのように全てが整った施設を目指しているわけではない。慶樹さんは「不便なところが体験。不便を解決した喜びがあります」と説明する。
農作業も同じだ。思うように進まない。泥で汚れる。体の使い方も分からない。必要なものが足りない中で、どうすればよいかを考える。不便さを残すことで人は考え、誰かと協力し、工夫する時間が生まれる。有佳さんも「自分たちも毎日考えながら、足りないことばかりの状態でやっているから楽しい」と充実感を口にする。
熱海といえば、温泉やグルメのイメージが強い。しかし、説田さん夫妻が見据えるのは、観光地としての熱海だけではない。中心部から離れた泉地区にも自然や人、歴史がある。その魅力を外に発信し、子どもも大人も楽しめる場所にしていくことが、地域の力につながると考えている。
土に触れ、少し不便な時間を過ごして人と関わる。「うちの農園は、みんなが主役。私たちは、そのための場所を提供しています」と慶樹さん。熱海の山あいにある農園は今、作物だけでなく、人の学びや地域の未来を育てる起点になろうとしている。
(間 淳/Jun Aida)








