2026/08/09
お客さま最優先から”脱却” 年末年始は休業、従業員にブランド牛や1万円 老舗養蜂場の改革
■浜松市の「長坂養蜂場」 理念は「ぬくもりのある会社」
一度は退社を考えた弟は、兄とともに再スタートを切った。兄弟が目指すのは、理念に掲げる「ぬくもりのある会社」。特集「My Life」後編では、長坂養蜂場が実践する従業員への「ぬくもり」を掘り下げる。書き入れ時の年末年始を休業日にするなど、従業員が働きやすい職場づくりを進めている。【全2回の後編】
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ぬくもりある会社をつくりましょう――。2010年に掲げた理念は、長坂養蜂場の転機となった。現在、専務を務める長坂恭輔さんは退社を思いとどまり、社長で兄の善人さんと一緒に「ぬくもりある会社」の実現に向けて新たな一歩を踏み出した。
会社の方向性に関して、長坂さんと兄の考え方は元々、大きな隔たりがあった。長坂さんが「規模は小さくても、働く人が充実感を得られる会社」を理想とするのに対し、兄は「事業拡大」を重視した。
兄は有言実行で結果を出した。来店客数や売上は伸び、長坂養蜂場は徐々に成長を遂げた。ただ、会社の成長とカスタマーサービスを重視しすぎると、現場への負担は大きくなる。母は兄に対して「言っていることは正しいけど、正義の刃は人を傷つける。ずっと働いてきた人たちの気持ちも考えなさい」と指摘することもあったという。長坂さんが回想する。
「当時のスタッフ数は10人前後でした。兄はお客さまに提供するウェルカムドリンクの温度など、現場の細かいところまで指示を出すマイクロマネジメントを取り入れて、スタッフは疲弊していました。それまでは母がアットホームな雰囲気でスタッフと接していたので、違いの大きさに戸惑う人もいたと思います」

長坂養蜂場に入社した経緯などを話す長坂専務
■「今まで何をやっていたんだ」 シンポジウムきっかけに方針転換
ただ、兄も鈍感ではない。長坂さんは「兄もスタッフへの負荷を感じ、何かを変える必要があると考えていたようです」と話す。その頃、著書「日本でいちばん大切にしたい会社」で知られる坂本光司さんのシンポジウムに兄が参加した。サービス力の強化を学ぶ場だと認識していたという。ところが、その内容は全く違った。坂本さんは、経営で最も大切なことを次のように言い切った。
「スタッフと、その家族を大事にすること。それ以外にありません」
このシンポジウムでは、企業の経営者も複数人登壇した。誰もが坂本さんの教えを実践しており、話の内容に兄は衝撃を受けた。長坂さんは、シンポジウムをきっかけに兄が変化したと振り返る。
「シンポジウムに参加した兄は、『自分は間違っていた。今まで何をやっていたんだ』と悩んだそうです。カスタマーサービスを最優先する方針を転換して、スタッフが生き生きと働く会社を目指すと掲げました。その象徴が新たな理念です。経営理念をつくろうと提案したのも兄でした。兄が変わったことで、会社全体が変わりました。

長坂養蜂場が販売する三ヶ日みかん蜂蜜(公式HPより)
■年末年始は休業、営業時間も短縮 それでも売上向上
兄はマイクロマネジメントを廃止した。「店のことは店で働く人たちが一番理解している」。兄は細かな指示を出さず、スタッフを信頼して任せた。そして、家族4人で新たな経営理念「ぬくもりある会社をつくりましょう」を掲げることに。それから数年間、理念を浸透させる努力を続けていった。すると、スタッフにも徐々に変化が生まれ始めた。長坂さんが語る。
「スタッフがみんな、兄の顔色ではなく、私たちの掲げる理念を見て仕事するようになりました。お客さまにぬくもりを伝えるにはどうしたらいいのか、理念を行動基準にしてサービスを選択しています。私たち経営陣も驚くくらい素敵なサービスが生まれていて、それを後々お客さまからの手紙で知ることも多いです」
会社側も従業員にぬくもりを感じてもらうため、働きやすい職場づくりや私生活も充実させる働き方を積極的に進めている。例えば、1月1日だけ休みだった年末年始は12月30日から1月2日まで休業日とした。毎月の定休日を増やして連休も設けた。
仕事が終わってから家族と過ごす時間や趣味の時間を確保できるよう、営業時間も短縮した。営業日数や時間が減ることで売上の減少が心配されたが、従業員のモチベーションや来店客の満足度の向上につながっているためか、売上は伸びている。

年間45万人が訪れる長坂養蜂場の店舗
■「いい肉の日」や「ミツバチの日」 会社から従業員にプレゼント
その他にも、11月29日の「いい肉の日」には、地元のブランド牛「三ヶ日牛」を従業員全員にプレゼントしている。お歳暮で忙しくなる時期だが、この日は残業せずに早く帰宅して、ゆっくり家族とすき焼きを楽しんでもらいたい思いが込められている。3月8日の「ミツバチの日」には、1万円を支給している。その理由を長坂さんが説明する。
「会社としては毎年、3月8日にミツバチ感謝祭を行っています。私たちはミツバチの犠牲のもとにハチミツを生産してもらっているので、神主さんを呼んで感謝を伝えています。スタッフにはご両親に感謝し、ご飯を食べに行ったり、プレゼントを渡したりするために1万円を活用してもらっています」
スタッフが誕生日に休暇を取れる制度もつくり、会社からバースデーケーキとメッセージプレートを贈る。メッセージプレートには、他のスタッフから見た本人の長所などが記されている。こうした取り組みが次々に出てくるほど、長坂養蜂場は社内に「ぬくもり」をつくり出している。

兄弟で長坂養蜂場を経営
■ぬくもりを地域に拡大へ 新事業やコミュニティ形成の展望
長坂養蜂場には、理念が会社の風土として根付いた。スタッフは90人まで増え、売上も順調に伸びている。スタッフを大切にする方針は、結果的に来店客の満足度向上にもつながった。ハチミツやハチミツを使った商品で県内外から知られる存在となり、長坂さんは次のステージを見据える。
「ぬくもりある会社をつくりましょうという理念の実現は、今もこれからも変わりません。ただビジネスの観点では、現在の柱となっている食品小売から、より健やかな暮らしやぬくもりある暮らしを多くの人たちに届けられるような事業展開を考えています」
具体的に描くのは、まず「飲食業」。レストランやカフェを運営すれば、ハチミツの食べ方や食生活に関する提案を直接届けられる。それから、「農業」も視野に入れる。イメージするのは、果物を味わうだけにとどまらず、収穫を通じて食を学ぶ観光農園。長坂さんは「自然の恵みや営みを伝えながら、より多くの人が食や自然に関心を持ち、大切にする気持ちを育む場にできたらと思っています。エンタメ要素を交えて、自然の尊さを分かりやすく解説したいです」と未来を描く。
もう1つは、「地域コミュニティの形成」。作物の販売場所を探している地元の農家さんや、作品の展示を希望する地元の若手アーティストら、色々な分野の人々が集まって交流する芝生広場のような場をつくりたいという。「商品やサービスを通じて人と人とが関わり、そこから生まれる温かなぬくもりが波紋のように広がる社会。誰もが優しい気持ちになれる空間が実現できたらと思っています」と長坂さん。兄の「代打」として始まった歩みは今、真の兄弟経営へとつながり、会社の枠を越え地域にぬくもりを広げる未来へと続いている。
(間 淳/Jun Aida)








