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2026/09/12

プロから「何億円もらっても戻りたくない」の声も “日本一厳しい”野球部の緊張感と学び

■大阪桐蔭高校から亜細亜大学 水本弦さんが振り返る4年間

「何億円もらっても、大学時代には戻りたくない」。亜細亜大学出身のプロ野球選手の中には、そう振り返る人もいる。甲子園春夏連覇を成し遂げた大阪桐蔭高校から亜細亜大学へ進み、現在は名古屋市など全国3カ所で野球塾を運営する水本弦さんも「日本一厳しい」練習を経験した。苦しさの中には学びもあり、社会に出てからの財産にもなっているという。

 

阪神・坂本誠志郎捕手やオリックス・森友哉捕手 水本弦さんが明かす学生時代のエピソード

 

私は大学時代、「日本一厳しい」とも評される亜細亜大学の硬式野球部で4年間過ごしました。特に感じたのは、練習量の多さ以上に常に張り詰めた緊張感でした。

 

入学前、周囲からは「大変なところを選んだね」と声をかけられました。ただ、高校でも寮生活を経験していたため、当時はその意味をよく分かっていませんでした。その考えは、入寮した初日から変わりました。

 

全体練習を終えた後、自主練習でマシン打撃を始めました。30分ほどで終わるつもりでしたが、なかなか終了になりません。結局、休憩を挟まず約1時間半、バットを振り続けました。「高校までとは基準がまるで違う」。そう感じた瞬間でした。

大阪桐蔭高校時代の水本さん(本人提供)

■順番待ちも気が抜けない練習 試合以上の緊張感と重圧

練習は朝6時頃から始まります。朝食やミーティングを挟み、午前9時半頃から全体練習。午後3時頃から自主練習に移り、夜までグラウンドやウエート場に残る選手も珍しくありませんでした。

 

ただ、亜細亜大学の厳しさは、単純に練習時間が長いことだけではありません。ウォーミングアップの段階から気は抜けません。「反応ダッシュ」というメニューでは、合図に合わせて走り出したり、体を回転させてからスタートしたりします。誰か1人でも動きを間違えれば、全員でやり直しです。「ウォーミングアップだから少しくらい力を抜いてもいい」という雰囲気はありませんでした。

 

そして、私が特に緊張したのが、伝統的に行われていた「2カ所バッティング」です。2カ所で同時に打撃練習をすること自体は珍しくありませんが、亜細亜大学では全ての守備位置に選手が入り、一塁から三塁まで走者もつきます。

 

投手が1球を投げるたびに、打者だけではなく、守備も走者も動きます。打球が飛べば、カバーリングや中継プレーまで続けます。守備では、順番を待っている選手も中腰で構えてプレーを見続けます。集中を欠いた動きがあれば、全員で走ることもありました。公式戦とは違い、結果が記録に残るわけではありません。それでも、試合以上の緊張感にグラウンドは包まれていました。振り返ってみると、重圧がかかった状況で結果を出すことも練習の1つだったのだと思います。

亜細亜大学時代の水本さん(本人提供)

■4年生で主将 監督からはグラウンド外でも学び

試合で見つかった課題も、そのままにはしませんでした。例えば、誰かがバントを失敗すると、試合後にグラウンドへ戻り、全員でバントを練習します。夜に2時間ほど、ひたすらバントを繰り返したこともあります。課題が見つかったら、その日のうちに潰す考え方がチームに浸透していました。失敗すれば自分だけの問題では済まないことに当時は苦しさを感じました。

 

日々の練習を楽しむ余裕はありませんでした。それでも、私は野球部を辞めようとは思いませんでした。その理由の1つは、野球の技術以外にも学びが多かったからです。

 

4年生で主将を務めた私は当時、生田勉監督と話す機会に恵まれました。特に繰り返し教わったのが、相手をよく観察することの大切さです。例えば会食の場では、ただ同席するだけではありません。雑談をしながら、相手がどんな酒を好むのか、どんなブランドや物に興味があるのかを見ておくように言われました。

 

相手の好みを知っていれば、次に会った時の会話につながります。何かを贈る時にも、相手が本当に喜ぶものを考えやすくなります。自分では気を遣ったつもりでも相手のことを知らなければ、ありがた迷惑になるかもしれません。野球とは直接関係ないように見えますが、相手を観察して何を求めているのかを考える。その習慣は、社会に出てからも役立っています。

現在は愛知県や石川県などで野球塾を運営する水本さん(本人提供)

■大学卒業後に実感 厳しい指導のありがたみ

大学時代は、生田監督から厳しく指摘されることも少なくありませんでした。社会に出てから、そのありがたさを実感しています。仕事では自分に改善すべき点があったとしても、必ず誰かが教えてくれるとは限りません。何も言われないまま、評価だけが下がっていくこともあります。だからこそ、改善すべきところを言葉にして伝えてもらえる環境は、決して当たり前ではなかったのだと気付きました。

 

亜細亜大学で過ごした4年間を振り返ると、記憶に残っているのは、きつかった練習だけではありません。プレッシャーがかかった時にどう向き合うのか。相手が何を考えているのかを想像する。そして、見つかった課題を後回しにしない。「日本一厳しい」と言われる環境で身についた習慣の多くは、野球を離れた今も、自分の中に残っています。

 

<プロフィール>

水本弦(みずもと・げん)

1995年2月23日生まれ。石川県野々市市出身。小学2年生の時に野球を始め、中学時代は白山能美ボーイズで全国大会に出場した。大阪桐蔭高校では3年生で主将を務め、甲子園で春夏連覇を達成。亜細亜大学でも主将を任され、リーグ優勝5回、日本一2回。東邦ガスではけがに苦しみ、2021年に現役引退。2023年5月に「株式会社Ring Match」を設立。野球経験者に特化した人材紹介、野球塾の運営、バットの開発・販売、就労継続支援B型事業を手掛ける。

 

SHIZUOKA Life編集部)

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