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2022/11/16

エスパルス元主将の新たなフィールドは伝統工芸 元選手の肩書きを使わないワケ

伝統工芸体験施設「駿府の工房 匠宿」で働く元エスパルスの杉山さん

■元エスパルス杉山浩太さん 現在は「駿府の工房 匠宿」の統括責任者

どんな一流スポーツ選手にも必ず訪れる引退。セカンドキャリアと言われる現役を退いた後の人生は、指導者やスカウトといったチームスタッフが一般的だ。ところが、全く未知の世界に飛び込む元選手もいる。それぞれが歩んできた人生をたどる特集「My Life」。第6回は、清水エスパルスで主将を務めた杉山浩太さん。ユニホームを脱いで5年。杉山さんはエスパルスで選手出身初の営業職を経て、今は伝統工芸をフィールドにしている。

 

近代的なデザインでありながら、優しい木のぬくもりを感じさせる外観が、豊かな自然と調和する。エントランスに飾られた静岡市の伝統工芸「駿河竹千筋細工」のランプシェイドや藍染が、来館者を迎え入れる。

 

静岡市駿河区の「駿府の工房 匠宿」。日本最大級の工芸体験施設で統括責任者を務めているのが、2017年まで清水エスパルスでプレーしていた杉山浩太さんだ。


匠宿は「歴史と未来を結ぶ」をコンセプトに、2021年5月にリニューアルオープンした。一般的な竹細工と違って枠に穴をあけて丸く削った細かい竹ひごを差して仕上げていく「駿河竹千筋細工」をはじめ、染めもの、漆、陶芸など伝統工芸を体験できる。講師は国内外で高く評価されている若手職人たちが務めている。

 

サッカーと伝統工芸。一見、何の接点もない2つの分野だが、杉山さんにとっては大切なキーワードがある。「静岡への愛着」。杉山さんをよく知る人ほど、引退後は指導者の道を進むことを強く望んでいた。だが、杉山さんの描くビジョンは違っていた。

 

「サッカーの戦術は好きでしたし、周りからは『なぜ指導者をやらないのか』と言われました。ただ、渡り鳥みたいな生き方ではなく、静岡に貢献する仕事がしたいという考えが頭の中にずっとありました。それなら、指導者ではない方がいいのかなと。静岡が好きですから」

杉山さんが働く静岡市の「駿府の工房 匠宿」

■周囲は指導者の道を予想も 選んだのは選手出身初の営業職

杉山さんは静岡市駿河区で生まれ育った。小学1年生の時に地元のチームでサッカーを始め、エスパルスのジュニアユース、ユースを経て、トップチームに昇格。柏レイソルへの期限付き移籍の期間を含め、2017年まで15年間プレーした。主将を務める統率力に広い視野、高い戦術理解力を特徴としていた現役時代の杉山さんを知る周囲の人もサポーターも、引退後は指導者になると思っていた。

 

しかし、大方の予想に反して32歳でスパイクを置いた杉山さんが選んだのは、エスパルスのチームスタッフではなく「営業」だった。クラブを支援するスポンサーを集める仕事。選手出身者で営業職に就くのはエスパルス史上初めてだった。杉山さんは、現役時代からセカンドキャリアを明確に描いていたわけではなかった。ただ、漠然と指導者以外の道を考えていたという。

 

「引退する年の夏頃に、今シーズン限りと決めていました。次のステップは一般社会に進むとなると、年齢的に早い方が良いという思いがありました。やるからにはトップを目指したいですし、クラブ全体が見える仕事をしたいと思ったので、営業を希望しました。お金を使う側に回る前に、集める過程や苦労を知らないといけないと考えました」

 

サッカー中心、サッカーだけを追求してきた生活では当然、事務作業もビジネスマナーも学ぶ機会はなかった。32歳から名刺交換やパソコンのスキルを教わった。エスパルスを運営する物流会社・鈴与の新入社員研修にも参加。10歳年下の同期と一緒に18泊の研修をともにし、フォークリフトの免許も取得した。

 

清水港のコンテナターミナルでは夜勤も経験した。サッカーではトップレベルでも、会社員としては研修中の新人。杉山さんは「全く仕事分からず、怒られることもありましたね」と振り返る。

2021年に大幅改装してリニューアルオープンした匠宿

ギャラリー「Teto Teto」には民芸品や工芸品が並ぶ

■元選手の肩書きを使わずに営業 「武器になるかもしれないが……」

研修を終えると、エスパルスの営業マンとして新たなスタートを切った。「選手が営業をできるはずがない」。杉山さんのセカンドキャリアに疑問符をつける人は少なくなかった。周囲を納得させるには「結果」。杉山さんも十分に理解していた。

 

営業経験のない杉山さんが結果を出すためには、どうすればいいのか。大半の人が思い付くのは、「元エスパルスの選手」という肩書きだろう。だが、杉山さんは「現役時代から今まで、サッカー選手や元選手と自分から言ったことは一度もないです」と最大の武器を使うことはなかった。

 

「元選手と言えば、営業で武器になるかもしれません。でも、自分のスキルは上がっていきません。自分のことを元選手と知っている人に『もう、選手じゃないんだからな』と言われた時は、『もちろんです。元選手ではなく社員として接してください』と答えていました」

 

クラブのスポンサーとして、企業に協賛金を出してもらうのは簡単ではない。営業経験はない杉山さんだが、下部組織から育ったエスパルスの魅力は熟知している。生まれ育った静岡市への愛情もある。覚えたばかりのパワーポイントで自身の考えをまとめ、企業へ思いを伝えた。

 

「営業担当は1社の協賛を得るためにどれだけ苦労しているのか。企業が地域貢献として協賛するために必要な売上、その売上を立てるために社員が積み重ねる苦労や努力を肌で感じました。お金の重さを分かっているつもりでしたが、実際に営業を経験して理解しました」

■「元Jリーガーが営業でミスしたら次はない。いつも綱渡り」

杉山さんが元サッカー選手の肩書きを使わなかった理由は、自身のスキルアップ以外にもあった。後任への影響を考えたためだった。他の企業でも見られるように、エスパルスの営業も担当部署やエリアが3年前後で交代する。杉山さんは選手だった経歴を全面に押し出してスポンサーを獲得した場合、後を引き継ぐ同僚に影響が及ぶと考えていた。

 

「自分の身勝手なやり方は、次に担当する人に迷惑をかけてしまいます。営業マンとして評価されるのはうれしいですが、元選手の知名度を使って何かを成し遂げても、結果的に身近にいる後任に苦労させるだけです。1つ1つ丁寧に引継ぎをしようと決めていました」

 

杉山さんは普段の仕事をこなしながら、半年かけて引き継ぎを進めていった。「結果で示す」、「迷惑をかけない」。自分に厳しくあり続けたのは、常に危機感を抱いていたからだった。

 

「自分は何者でもありません。元Jリーガーが営業でミスしたら、二度と仕事が回ってこないと思っていました。いつも綱渡りの心境です」

 

自分から告げなくても、周りの目は「元選手」。人の2倍、3倍動いて結果を出して初めて、戦力として認められる。

 

営業マンとして3年。一通りの仕事を覚え、周囲からの信頼も得た。要領をつかんで“楽ができる”タイミングともいえる昨年4月、杉山さんは新たな挑戦を決める。誰もが驚くサッカーとは無関係なフィールド。エスパルスを退社し、次のステージに選んだのは伝統工芸の世界だった。【後編に続く】

 

(間 淳/Jun Aida

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