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2026/07/20

自転車で15分なのに入寮!? 甲子園まであと一歩 元オリックス選手と名将の出会い

■元オリックス・庄司大介氏 静清工で夏の静岡大会準優勝

高校時代に大切な縁がいくつも生まれた。元オリックス外野手の庄司大介さんは、今年4月から知人とともに東京都内の事務所「WD50」で買取事業などを行っている。オリックスには外野手で入団したが、静清工(現・静清)時代は投手として活躍。3年生だった1992年の夏は静岡大会決勝まで進んだ。

 

「シード校敗退=波乱」ではない 高校野球の監督が抱く報道へのギャップ

 

桐陽との決勝戦は「6番・投手」で先発。一時は2-0とリードしたものの、6回に3失点して2-3で逆転負け。3失点完投も実らず、甲子園にはあと一歩のところで届かなかった。将来のプロ入りを夢見て必死に汗を流した3年間。今では青春時代のいい思い出だが、入部までは紆余曲折があったという。

 

進学先を検討していた東益津中3年時のこと。「焼津中央高校が声をかけてくれていたんです」と振り返る。「頭がいい高校で、赤点を取ったら野球がやれないという話でした。ギリギリで合格しても、入学して野球ができないとつまらない」ということで候補から消えた。

 

焼津水産からも強く勧誘されたそうだが、2歳上の兄が在籍。「もし入ったら兄が3年生でいる。そんなのは絶対に嫌でしたね」。こちらも候補から消え、最終的に興味を示してくれていた静清工に進学することを決めたのである。

庄司さんは現在、都内の事務所「WD50」で買取事業などを展開

■後に中京大中京で甲子園優勝 大藤敏行氏から「寮に入りなさい」

入学前の3月下旬。野球部の説明会があり、静清工の正門付近に到着すると「野球の入部希望者はいるか」と声を張り上げている人がいた。「はいっ!」と答えると「何中だ?」。すかさず「東益津中です!」と返答すると「庄司か~っ?」。待ち構えていたのが、当時コーチを務めていた大藤敏行さんだった。

 

後に中京大中京を率いて2009年夏の甲子園で優勝し、現在は享栄で監督を務める名将の若かりし時代。大藤コーチから「ちょっと来いっ!」と言われてついていくと、説明会ではなくグラウンドに連れていかれたと回顧する。

 

「監督を紹介されて、挨拶させられて、『いつ寮入るんだ?』って言われたんです。『言ってる意味がよく分かりません。僕、自転車で15分くらいのところに住んでいるんです』と返したんですけど、練習量とか全然違ってくるから『寮に入りなさい』と言われました」

 

いったん返事を保留し、両親と相談。上下関係が厳しく、1年生は上級生から雑用を命じられることが当たり前の時代であり「寮に入るにしても、今の3年生の夏の大会が終わってからにして」と懇願した。両親も理解した様子だったが、数日後に一緒に学校に行った際「野球ができる準備だけしてくれれば問題ない」と野球部側の説明に両親が折れたという。

 

庄司さんは「家から通いたかったんだけど…」と納得しないまま、半ば強引に入寮。「学校の授業が始まる前、入学式の前には寮に入っていました」と当時を思い起こした。

静清高校野球部の室内練習場(静清高校の公式HPより)

■地元のスポーツ用品店がきっかけ 谷佳知氏とつながり

入学後に知った話だが、静清工野球部に庄司さんを強く推薦したのは焼津市にあるスポーツ用品店「ミナトスポーツ」の店主だったという。「多分、僕の中学の試合を見ていたんだと思います。その後もミナトスポーツにはすごくお世話になりました」。国士舘大、河合楽器でプレーした際もグラブなどを購入していた。

 

2000年ドラフトでオリックス入団が決まった際も、複数の用具メーカーを紹介してくれたという。「最終的にSSKに決めたんですけど、そのおかげで谷さんともつながったんです」。庄司さんの2学年上で、同じ社会人出身のオリックス外野手である谷佳知さんもSSKと契約していた。その縁もあって、庄司さんを何かと目をかけてくれていたそうだ。

 

「運よく同じメーカーだったので、いろいろお話を聞かせていただいたり、バットをもらったりしたこともありました。今思えば、本当にそういうつながりが大きかったですね」

 

今でも交流がある谷さんとの縁を結んでくれたミナトスポーツには感謝の念が尽きない。これも静岡で過ごした時代の大事な思い出。生まれた一つひとつの縁が、プロ入り後も庄司さんの野球人生を支えてくれたのである。

 

(尾辻 剛/Go Otsuji

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