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2022/12/14

サッカーを始めたのは小学4年 不器用な選手が39歳までプロを続けられたワケ

昨季限りで現役を引退した秋本さん

■清水商業出身の秋本倫孝さん 昨季まで藤枝MYFCでプレー

サッカーを始めたのは小学4年生と遅かった。決して器用なタイプではなかった。それでも、藤枝MYFCに所属した昨シーズン限りで現役を退くまで、プロで17年間プレーした。それぞれが歩んできた人生をたどる特集「My Life」。第7回は、静岡市出身のDF秋本倫孝さん。プロサッカー選手になれたのは、練習量と覚悟、そして指導者との出会いがあった。

 

遠目からでもスポーツとともに人生を歩んできたと分かる。身長180センチ、体重77キロ。数々の点取り屋と対峙してきた屈強な体格は変わっていない。今年1月、所属していた藤枝MYFCで現役引退を発表した秋本倫孝さんは現在、藤枝市でサッカースクール「MICHI FOOTBALL SCHOOL」を開いている。

 

秋本さんは名門・清水商業(現:清水桜が丘)から法政大を経て、ヴァンフォーレ甲府でプロのキャリアをスタートした。その後は京都サンガF.C.やカターレ富山、さらにタイ・ホンダFCと渡り歩き、藤枝MYFCでプロ生活に幕を下ろした。

 

Jリーグ通算出場は315試合。39歳まで17年間続けた現役生活を「周りの方たちへの感謝しかないですね。こんなに長くサッカーを続けられると思っていませんでしたから」と振り返る。

 

秋本さんがサッカーを始めたのは小学4年生の時だった。それまではソフトボールをしていたが、一番仲の良い友達から「サッカーチームに入る」と言われ、一緒にやることに決めた。

Jリーグだけでなくタイ・ホンダFCでもプレー

■近所の公園で仲間と練習 1日7時間続けたことも

最近は疑問符をつけられる時もあるが、「サッカー王国」の静岡県で小学4年生から本気でサッカーを始めるのはハードルが高い。園児からボールを蹴り、小学校に入れば土日だけではなく毎日のように練習する子どもが少なくない。

 

たとえサッカーに興味を持っても、チームの見学に行けば「小学4年からチームに加わるのは遅すぎる」と感じる子どもが大半だ。しかし、秋本さんに不安は一切なかったという。

 

「出遅れたとは全く思っていませんでした。他の人を気にするタイプではなかったですし、比べようとも思いませんでした。根拠のない変な自信もありましたね。自分は負けてないだろうと」

 

秋本さんは自らの技術を磨くことに集中していた。そして、何よりもボールを蹴っている時間が楽しかった。自由な時間があれば、近くの公園で仲間を誘って練習した。負けん気の強さもあって、納得するまで練習を続けた。気が付くと7時間経っていた時もあったという。

 

他の選手よりサッカーを始めた時期は遅かったが、中学に入るころには同学年の選手に追いつき、追い越していった。高校の進学先に選んだのは、全国屈指の強豪校・清水商業。全国高校サッカー選手権を3度制し、元日本代表のGK川口能活さんや、コンサドーレ札幌の小野伸二選手ら多数のプロを輩出している。

サッカー人生を振り返り、指導者との出会いに感謝する秋本さん

■清水商業の同級生3人がプロ入り 「自分も行ける変な自信」

清水商業のサッカー部に入った秋本さんは「上手い選手ばかり」とレベルの高さを感じたが、自信は揺らがなかった。ディフェンダーでレギュラーを掴み、全国大会の舞台にも立った。そして、高校3年の冬、プロを強く意識した。

 

「同級生が3人プロに入りました。あの3人がプロになれるなら、自分も行けるんじゃないかなと変な自信が芽生えました」

 

当時、清水商業のサッカー部からは毎年のようにプロが誕生していた。秋本さんの同級生では、元日本代表の小林大悟さん、東京ヴェルディや湘南ベルマーレでプレーした佐野裕哉さん、サンフレッチェ広島や横浜FCに所属した河野淳吾さんが高校卒業後にプロ入りしている。

 

3人からは後れを取る形にはなる。だが、法政大に進んだ秋本さんの目標は明確だった。「必ずプロになる。プロになれなかったら大学まででサッカーを辞める」。大学1年の時は思い通りにいかなかったが、2、3年生と気持ちを高め、4年生の時にヴァンフォーレ甲府のセレクションを受けた。セレクション参加者は100人ほど。通過者3人の狭き門を突破し、入団を決めた。

 

「練習量と覚悟は誰にも負けないと思っていました。セレクションに落ちたらサッカーを辞めるつもりだったので、母親にはアルバイト先を紹介されました」

現在は藤枝市で小、中学生対象のサッカースクールを運営

■指導者に恵まれたサッカー人生 第2の人生はスクール開講

秋本さんは子どもの頃から、練習を根拠にした自信と目標を実現させる覚悟で一歩一歩ステージを上がった。ただ、指導者との出会いがなければ、プロになることもプロで17年もプレーすることも到底叶わなかったと回想する。

 

「ヴァンフォーレに入って、大木さん(大木武監督)や安間さん(安間貴義コーチ)に『技術とは、こういうものだ』と教わりました。プロ1年目を知っている人には『サッカーが上手くなったね』と言われるほど、プロに入った頃は下手でした」

 

プロへの道筋をつくってくれたのは、中学から大学までの指導者だった。どの出会いを欠いても、今の人生はなかったと感謝する。

 

「中学では、2年生の時から指導を受けた先生が強豪高校とのパイプを持っていたので、清水商業に入学できました。清水商業では大滝(雅良)先生から指導を受け、法政では川勝(良一)さんや水沼(貴史)さんからプロへの心得を教わりました」

 

プロ生活の最後は、地元・静岡県の藤枝MYFCで締めくくった。タイ・ホンダFCでプレーを続けるかどうか迷っていた時、監督就任が決まった石崎信弘監督との縁に恵まれた。

 

■「失敗を恐れず世界を広げてほしい」 地元の子どもに経験を還元

今年1月に現役引退を発表し、第2の人生を歩み始めた。セカンドキャリアを意識し始めた藤枝MYFCでの晩年、秋本さんは自分の経験を最大限に生かせる方法を考えていた。「自分で0から始めてみようと思いました。苦労するのは見えていましたが、やりがいやおもしろさ、新しい発見があると感じました」。導き出した答えは、小、中学生を対象にしたサッカースクールの開講だった。

 

小学4年生からサッカーを始めてプロになり、国内外5つのクラブで39歳までプレーした秋本さんだからこそ、子どもたちに伝えられるメッセージがある。自主的に練習する大切さ、目標を達成する覚悟、人生に大きく影響する出会い。引退後の道に、安定よりも挑戦を選んだところも秋本さんらしい。

 

「自分自身にとってもサッカースクールは挑戦ですが、子どもたちには失敗を恐れず、世界を広げてほしいです」。出会いや縁が、どれだけ人生の宝になるか身をもって経験してきた秋本さん。子どもたちの可能性を広げる指導者になるだろう。自身が感謝する指導者たちのように。

 

(間 淳/Jun Aida

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