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2022/11/25

サッカーを辞めると決めた日に起きた奇跡 「普通の少年」がJ1クラブの主将になれたワケ

■元エスパルス主将・杉山浩太さん 現在は伝統工芸の世界へ

運動神経も育った環境も「普通」だった。それでも、清水エスパルスの主将を務めるまでのプロサッカー選手になった。2017年に現役を引退した元エスパルスの杉山浩太さんは今、静岡市の伝統工芸体験施設「駿府の工房 匠宿」で働いている。際立った運動能力がなくてもプロになり、15年間プレーできた土台は少年時代に築かれていた。小学生時代には、「きょうでサッカーを辞めよう」と決意した日に信じられない出来事が起こり、思いとどまったという。

 

ユニホームを脱いで5年が経った。指導者やスカウトなど、現役引退後もサッカーと関わりを持つ元選手が多い中、杉山さんはサッカーとは別世界に活躍の場を広げている。

 

豊かな緑に囲まれた静岡市駿河区にある「駿府の工房 匠宿」。日本最大級の伝統工芸体験施設が、杉山さんの職場だ。施設全体を見渡し、約50人のスタッフをまとめる統括責任者を務める。

 

サッカー選手として武器にしていた広い視野や思考力、統率力は今の仕事でも生きている。そうした能力への意識は小学生の頃から高く、杉山さんがプロになれたゆえんでもある。

伝統工芸体験施設「駿府の工房 匠宿」で働く元エスパルスの杉山さん

■運動神経は平均的 観察と考える習慣でサッカー上達

杉山さんは小学1年生の時、友人に誘われて地元のチームでサッカーを始めた。家族にサッカー経験者がいるわけでもなく、運動神経は良くも悪くない。水泳は苦手で、卓球以外の球技も平均的だったという。

 

だが、サッカーではプロになり、エスパルスの主将を任されるほどの選手となった。成功できたヒントは子どもの頃にあった。杉山さんは、こう振り返る。

 

「考えるのが好きでした。小、中学生の時は、人が怒られているのをずっと聞いていました。チームには何十人も選手がいて、指導者は1人か2人しかいません。自分の番はなかなか来ないので、他の人が指摘されたところを自分も直すようにしていました」

 

頭で理解できていなければ体は動かない。プレーの引き出しを増やすには知識が不可欠だ。そして、指導者の考え方や意図を把握すれば、出場機会は増える。プロに入る前から、競争を勝ち抜く術を磨いていた。

 

小学4年生の頃にエスパルスのスクールができたため、杉山さんは地元のチームと掛け持ちでサッカー漬けの日々を送った。平日は練習し、土日は試合。朝は早起きして母親相手にドリブルの練習をして、自宅ではACミランのビデオを見て過ごした。

 

■サッカーを辞めると決めた日 観戦したエスパルス戦で奇跡が

静岡県の選抜チームにも選ばれ、将来はプロになりたいと、ぼんやり夢を描くようになった。しかし、自分を追い込み過ぎたのか、ある日、緊張の糸が切れた。

 

「小学校5、6年生の時に、きょうでサッカーを辞めようと明確に思った日がありました。つらさや義務感が勝って、楽しくなくなってしまいました。プロではないんだから、もういいと思いました」

 

サッカーを辞めようと決めた日。午前中に試合を終えると、午後からエスパルスのホームスタジアムへと向かった。事前にチケットを入手しており、観戦する予定になっていた。

 

ピッチの横側に位置する席に座り、エスパルスを応援する。すると、選手が蹴ったクリアボールが杉山さんの方へ飛んできた。真っすぐきれいな軌道で向かってくるボールをキャッチ。その時の喜びは、今もはっきりと覚えている。

 

「ゴール裏に座っていたわけではなく、ボールが飛んでくるような席ではありませんでした。選手が蹴ったボールを初めて触ったらうれしくなって、サッカーを続けることにしました」

現在は「駿府の工房 匠宿」で統括責任者を務める杉山さん

■「同じミス繰り返したら居場所失う」 役割を徹底した15年間

再びサッカーと向き合った杉山さんは、エスパルスユースからトップチームに昇格して18歳でプロになった。1年目からリーグ戦に出場し、3年目にはクラブ創設時のスター選手で「清水三羽ガラス」の1人だった大榎克己さんの背番号6を継承した。杉山さんは当時のチームを回想する。

 

「プロは各年代のトップ選手の集まりです。しかも、1学年だけではなく、18歳から35歳くらいまで幅広い年齢の選手と競争します。当時のエスパルスは日本代表に選ばれるような選手ばかりで、これまでにない不安にさらされるタフな環境でした」

 

チームには当然、毎年新しい選手が入ってくる。ポジション争いに敗れれば、チームを離れるしかない。持病や怪我がありながらも、杉山さんが15年間、自分の居場所を確保できたのは考える力が大きな要因だった。

 

「自分のようなタイプは、10回失敗しても1回ゴールを決めれば評価されるストライカーとは違います。同じミスを繰り返したらプレーする場を失うと思っていました」

 

杉山さんは監督が目指すサッカーを正確に理解し、チームに何が必要なのか、自分が担える役割は何なのかを突き詰めた。本職のボランチだけではなく時にはセンターバックも任されたのは、指揮官の戦術を誰よりも理解し、ミスが少ないと信頼されていた証だった。

 

突出したスピードや身体能力があれば、サッカー選手としてのアドバンテージになる。だが、成功する絶対条件ではない。杉山さんの考え方やスタイルは、プロを目指す子どもたちへのメッセージになっている。

 

(間 淳/Jun Aida

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