2026/06/14
実現直前で夢を断念… 毎朝4時起きの“二刀流”で再出発 次世代につなぐ「稼げる農園」への覚悟

「たからのはたけ」の展望スペースから望む相模湾
■新型コロナで暗転 マレーシアでのワサビ栽培から撤退
マレーシアでの夢は、事業化目前で暗転した。ワサビの試験栽培は順調に進み、定住に向けた準備も整いつつあった。しかし、新型コロナウイルスの感染拡大で帰国を余儀なくされ、説田さん夫妻は大きな決断を迫られる。撤退、再出発、そして熱海での農業へ。特集「My Life」後編では、夫婦が挫折の先に見つけた再出発と、次世代へつなぐ農園づくりを追う。【前編からの続き】
【前編はこちら】”バリキャリ”とヘッドハンターの夫婦 農家転身のワケと人生の転機
順調だったマレーシアでの暮らしや事業の準備が一変したのは、2020年だった。原因は世界を大混乱させた新型コロナウイルスの感染拡大。有佳さんはマレーシアから一時帰国し、事態が落ち着くまで数カ月間、日本で過ごすつもりだった。だが、予定に大幅な狂いが生じる。有佳さんが回想する。
「日本で2、3カ月過ごすための荷物を持って帰国したら、1年間マレーシアに戻れなくなりました。マレーシアの家の管理や飼っていた猫3匹の世話を現地の友達に任せるしか方法もありませんでした。そこから、さらに1年間向こうに戻れなくなり、その2年間で今後について色々と考えました」
有佳さんと慶樹さんは2人で話し合いを重ね、将来の軌道修正を決断した。悩んだ末に出した結論は、マレーシアからの撤退だった。慶樹さんが振り返る。
「悔しかったですね。マレーシアで新しい事業や生活を始めるため、かなりの時間とお金をかけてきましたから。自分たちが新型コロナで身動きを取れなかった期間、キャメロンハイランドではイチゴ農園で大成功した方もいました。タイミングを逸してしまったわけです」

子どもたちにミカンの収穫方法を説明する慶樹さん
■帰国しても衰えなかった情熱 日本で農業を決断
マレーシアで思い描いた生活は実現できなかった。しかし、準備に費やした時間は決して無駄ではなかった。有佳さんは活力を取り戻し、自分の“原点”を思い出した。慶樹さんに任せていた自身が立ち上げた会社に戻り、コンサルの仕事を再開する選択肢は、有佳さんの中で消えていた。
「せっかくマレーシアで東京とは別の景色を見て心身ともに元気になったのに、元の生活に戻るのはどうなのかなと。やっぱり、農業しかないと思いました」
マレーシアと日本。場所は変わっても、農業への情熱は変わっていなかった。説田さん夫婦は、農業を軸とした事業に向けて動き出した。
本格的に農業に取り組むには、農地が不可欠となる。専門知識も必要。そこで、慶樹さんは伊豆の国市にある自然農法大学校に入った。農地を購入するには農家の認定が必要で、この学校は全国にある認定校の1つだった。

ギャラリーに改修中のミカン小屋と新設のウッドデッキ
■疲労とストレスでじんましん 夫・慶樹さんの“二刀流”生活
自然農法大学校では、一般的には2年かけてカリキュラムを修了する。しかし、少しでも早く農業をスタートしたかった慶樹さんは、わずか7カ月で1200時間のカリキュラムを終えた。学校の寮に入り、毎朝4時に起きて農業を学ぶ日々。一緒に学ぶのは、年齢が2回りほど下の10代の若者ばかりだった。種まきをはじめとする農業独特の体の使い方を身に付ける実技は、ホワイトカラー一筋のキャリアを歩んだ慶樹さんには特に堪えた。
しかも、慶樹さんはヘッドハンティングの仕事も継続していた。日中の講義を終えると、ワイシャツに着替えてオンラインで企業に紹介する人材を面談する。当然ながら、睡眠時間は短い。ハードな生活に体は悲鳴を上げ、じんましんが出ることもあった。だが、どちらも妥協するつもりはなかった。
「農業に専念しても、すぐに十分な収入を得られるわけではありません。むしろ、初期投資でお金がかかります。当時、娘がカナダの高校に通っていたので、ヘッドハンティングの仕事を続けないと学費と生活費が払えませんでした。私たち夫婦は物欲がありませんが、教育にだけはお金を惜しみたくありませんでした。お金を理由に、娘が希望する進路をあきらめることはさせたくなかった。学費は今も返済中です」
農業は一般的に、5年目で売上600万円を目標とする。ただ、たからのはたけがある熱海市の泉地区は中山間地で畑の面積が小さいため、その金額を得るハードルは高い。慶樹さんは農家とヘッドハンターの“二刀流”によって、夫婦と娘それぞれの夢の実現を目指したのだ。

異業種から農家へ転身した説田さん夫婦
■次世代に継承する責任と使命 「稼げる農業」の確立へ
慶樹さんは、ヘッドハンティングの仕事を続けながら自然農法大学校を卒業した。そして、熱海市のミカン畑を購入し、2022年春に「たからのはたけ」をスタートした。当初はアボカドに特化した農園をイメージしていたが、それでは「次世代への継承」が難しいと気付いた。
広い農地があれば、特定の果物や野菜にしぼる方法は1つのモデルとなる。ただ、熱海は坂道が多く、土地も狭い。耕作放棄地を増やさず、農家の担い手を育てていくには、「観光農園」が最適だと説田夫婦は考えた。慶樹さんが説明する。
「首都圏からの利便性が高く、温暖な熱海の地の利を生かすには、年間を通じて色々な作物を育てる観光農園が一番です。どの季節でも収穫ができたり、花が咲いていたりすれば、訪れる方々に楽しんでいただけます。1つの農作物が不作でも、他で補うリスクマネジメントになるメリットもあります」
たからのはたけでは現在、アボカド、ミカン、梅、キウイ、イチジク、プラムなど多種多様な農作物を栽培している。この先、いつかは農園を次の世代に引き継ぐ時がくる。その時、「稼げる農園」としての仕組みを確立しておくことが、説田夫妻は自分たちの世代の責任であり、使命でもあると捉えている。

アボカドにコモ掛けする説田さん夫妻
■異業種の経験生かして販路拡大 地元の農家にも貢献
さらに、農家になる前に積み重ねた異業種の知識や経験を上の世代に還元している。そのうちの1つが、「販路拡大」だ。地元農家の人たちが愛情を注いで育てた果物や野菜に対し、品質に見合った価格で取り引きできる販路をつくることができれば、農業への意欲や矜持を高められる。
実際、説田さん夫婦が窓口となり、大手スーパーと泉地区の農家との間に新たな取引も始まっている。慶樹さんは「この地域の課題解決や出口戦略は、私たちの役割です。お世話になっている周りの農家の方々のために、経営や営業の経験が生かせると思っています」と語る。
東京でコンサルの会社を経営していれば、今の農業よりも経済的な豊かさは担保されただろう。大雨や強風など、天候によって農家の収入は大きく左右される。今年の冬は、雪の影響で湘南ゴールドやレモンが全滅した。
ただ、悲壮感はないという。慶樹さんが「いい時も、悪い時もあるのが農業。会社経営も上手くいく時ばかりではありませんから」と話せば、有佳さんも「生命を扱っている仕事なんだなと実感します。他の農作物も育てているので、落ち込んでもいられません」とほほ笑む。

高台からの絶景も楽しめる「たからのはたけ」
■師匠は83歳のベテラン農家 認定農業者にランクアップ
もちろん、説田夫妻は農業の大変さを感じている。しかし、その何倍もの充実感が2人の心を満たしている。慶樹さんが声を弾ませる。
「この間、師匠から初めて褒められたんです。いつも気にかけてくれる83歳のじいちゃんが、自分の師匠。『最近頑張っているな。俺はうれしいよ』と声をかけられて泣きそうになりました」
慶樹さんは5月、認定農業者となった。国が3段階で設定している2番目の資格で、農家としてワンランクアップを果たした。異色の経歴から熱海での農業にたどり着いた説田夫妻。2人の過去は、見た目では決して分からない。その顔は、すっかり農家そのものだから。
(間 淳/Jun Aida)








