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2022/10/23

センバツ優勝、夏は準優勝 常葉菊川出身“伝説の二塁手”が早大中退から得た教訓

現在は浜松市で児童福祉施設を運営する町田さん

■常葉菊川で甲子園に4度出場した町田友潤さん 早大1年の時に野球部退部

 早稲田大学中退で得た教訓は、第2の人生で生きている。甲子園で「伝説」となった静岡県菊川市にある常葉菊川(現:常葉大菊川)高校出身の町田友潤さんは、進学した早稲田大野球部を1年未満で退部し、大学も中退した。周囲から誤解される時もあるが、「感謝している」と話す。児童福祉の事業所4つを経営する今、当時の苦い経験が生きている。

 

 2007年のセンバツ高校野球大会で常葉菊川史上初の甲子園優勝に貢献した町田さんは、準優勝した2008年の全国高校野球大会まで4季連続で聖地に立った。安打性の当たりを華麗にさばき、何度もピンチを救った守備は今でも「伝説」として高校野球ファンの語り草となっている。

 

 町田さんは「甲子園史上最高の二塁手」と呼ばれた。だが、高校卒業後は当時のように脚光を浴びることはなかった。常葉菊川から進学した早稲田大では、1年生からオープン戦に出場するなど、チームの期待値の高さを感じさせた。しかし、1年足らずで野球部を退部し、大学も退学した。町田さんは当時を、こう振り返る。

 

「色んなことを真正面から受け止め過ぎました。自分で全てを処理しようしたことが原因です」

町田さんは常葉菊川で春夏合わせて4度甲子園に出場

■いじめや暴力なし、先輩に感謝 チーム方針の矛盾を受け入れられず…

 周囲からは、先輩からの暴力やいじめを心配する声が上がった。だが、町田さんは「全くありません。今も連絡を取っている先輩は多いです」と否定する。

 

実際、早大中退後に進んだ社会人チーム・ヤマハの先輩でもあった大野健介さんらとは食事に行く間柄。ヤマハを退社して今の仕事をしてからは、早稲田大出身という共通点で生まれた縁もあり「早稲田に悪い印象は全然ありません。早稲田に行ったことで出会えた人は多いので、感謝しています」と笑顔を見せる。

 

 早稲田大野球部では、常葉菊川との違いに戸惑ったという。常葉菊川は犠打をしない「フルスイング打線」に象徴されるように、基本的なルールが設けられた上で、練習も試合も選手の自主性に任される部分が大きかった。歴史の長い早稲田は、事情が異なった。町田さんはチーム方針や指導法に矛盾を感じながらも、全てを受け入れようとした。しかし、頭と心で整理できず、限界を超えた。

 

「ある程度、上手く聞き流す必要があったと思います。社会に出れば矛盾や理不尽は当たり前です。当時は、精神的に子どもでした」

 

■「自分をしっかり持つ」、「取捨選択が大切」 社会人で生きた早大中退の経験

 社会人になると、上司や先輩から相反する指示や指導をされるケースは少なくない。全てを聞き入れるのは不可能な場面もあるだろう。町田さんは「人に合わせたり、言われたことを全てやろうとしたりするのではなく、自分をしっかり持っていないといけないと痛感しました」と語る。

 

 アドバイスや指摘に耳を傾けながらも、自分の核となる考え方はぶれないようにする。町田さんは放課後等デイサービスと児童発達支援の事業所を経営する立場となり、揺るがない信念の大切さを一層感じている。

 

「自分がぶれてしまったら、従業員が混乱してしまいます。ビジネスをする上で取捨選択は大切です。今は、自分の中で不動心をテーマにしています」

 

 早稲田大での経験や教訓と重なったのは、巨人やヤンキースで活躍した松井秀喜さんの著書「不動心」。松井さんが明かした自らコントロールできることとできないことを分ける思考や、失敗との向き合い方などに共感し、参考にしている。

 

 退部、中退という言葉はネガティブな印象を与える。だが、町田さんにとっては早稲田大での出会いや経験は、野球を離れた今に生きている。

 

(間 淳/Jun Aida)

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