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2022/11/03

親子3代で学んで楽しめる磐田市の旧見付学校 日本に現存する最古の木造擬洋風小学校校舎

現存する木造擬洋風小学校校舎で最も古い旧見付学校

■明治期の授業風景を再現 席に着いて石盤と石筆を体験

親子3世代で楽しみ、学べる施設が静岡県磐田市にある。旧見付学校は日本に現存する中で、最も古い洋風建築を模した木造の小学校校舎。歴史的価値を評価され、国の史跡に指定されている。校舎の中には貴重な資料の展示に加えて、授業風景が再現されており、映画の世界に入り込んだ気分になる。

 

存在感を示す真っ白な校舎は、磐田市のシンボルになっている。旧見付学校は1875年に完成し、1922年まで小学生の声が響いていた。その後、児童の数が増えて別の校舎が新たにつくられたが、旧見付学校は取り壊されずに当時の姿を残している。

 

洋風建築を模した校舎は木造5階建て。同じ規模の校舎を木造で建設すると、費用は1億円を超えるとも言われている。それでも、地元では学びの場が必要と考え、住民から寄付を募って建設した。「自分たちのまちは自分たちの手でつくる」。住民たちの矜持や気概の表れだった。

 

校舎に入ると、右手に明治期の授業風景を再現した教室がある。机の上に置かれているのは石盤と石筆。鉛筆やノートが普及する前に、子どもたちが使っていた。来館者は実際に席に着き、石筆で石盤に字を書く体験もできる。

2階には当時の学校生活を知る貴重な資料を展示

■小学校は4年間で進級試験、飛び級も 割り算の九九!?

教室の横には大正時代につくられたオルガンが置かれている。ペダルを踏んで音を出す仕組みで、約100年経った今でも演奏できる。

 

2階には修業証書や学芸会のプログラムなど、学校生活を知る貴重な資料が展示されている。当時の小学校は現在より2学年少ない4年生までで、次の学年に進むためには試験があった。

 

子どもたちは小学校卒業と同時に社会に出て生活を支えていたため、学校は仕事に必要な知識を身に付ける場所だった。算数は商売に不可欠な利益率を求める計算、国語は公用文や手紙などを学び、九九は掛け算だけではなく割り算も覚えた。成績優秀者は飛び級が認められ、2年間で卒業する子どももいたという。

3階には昔の生活を再現した展示

実際に体験できる糸車

■昔の生活を再現&体験 親子3世代で楽しめる昔ながらのおもちゃ

3階は明治から昭和にかけての生活を学ぶスペースとなっている。農作業の道具が展示され、足踏みミシンや囲炉裏など一般家庭の生活を再現している。石臼や糸車など生活の一部を体験できるようにもなっている。大豆を挽いてきな粉をつくる石臼は、予想以上の力が必要だと実感する。

 

奥のスペースでは、昔の遊びを体験できる。メンコや竹とんぼ、お手玉やおはじきなど、おじいちゃん、おばあちゃん世代には懐かしいおもちゃが並ぶ。テレビゲームやスマートフォンに親しむ子どもたちには新鮮で、親子3世代で楽しめる。土日に来館すれば、校舎の前で竹馬、水鉄砲、コマなどでも遊べる。

 

4階と5階は展望スペースとなっている。4階はどんな用途だったのか詳しい資料は残っていないが、校長室や応接室として使われていたとみられている。最上階の5階には太鼓が置かれていた。登校の合図や正午の時報の役目を担っており、その音は1キロ先にいても、はっきりと聞こえた。

徳川家康の窮地を救ったと言われる「伝酒井之太鼓」

この太鼓は校舎ができた時に寄贈されたものだが、徳川家康の窮地を救った「伝酒井之太鼓」。三方原の戦に敗れた家康が浜松城に逃げ帰る際、武田勢は城の周囲まで迫っていた。この時、城中を守っていた酒井忠次が力いっぱい太鼓を打ち鳴らし、太鼓を徳川方の策略の合図と考えた武田勢は城を離れたと言われている。現在は1階に展示されている。

 

歴史的価値が高く、1969年に国の史跡に指定された旧見付学校。当時の教育や生活を知る貴重な施設は、今を生きる人たちの学びの場にもなっている。

 

SHIZUOKA Life編集部)

 

【施設名】

旧見付学校(きゅうみつけがっこう)

 

【場所】

静岡県磐田市見付2452

 

【電話】

0538-32-4511

 

【営業時間】

午前9時~午後4時半

 

【休館日】

月曜日、国民の祝日の翌日

 

【交通アクセス】

・東名高速・磐田ICから約5

JR磐田駅からバスで約10分。市立病院行き「旧見付学校」で下車

 

【駐車場】

8台

 

【外部サイト】

磐田市観光協会HP

磐田市観光協会 / 旧見付学校 (kanko-iwata.jp)

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