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2023/01/15

“落ちこぼれアナウンサー”から取締役 若手時代の上司から学んだ部下を守る覚悟

仕事のモチベーションを左右する時もある上司の存在

■新人時代に失敗の連続 周囲から「誰が採用した?」の声

この人のために頑張りたい。この人みたいになりたい。「理想の上司は?」と聞かれて特定の顔をすぐに思い浮かべる人は、どのくらいいるだろうか。静岡県のテレビ局入社後すぐに「アナウンサー失格」の烙印を押されたにもかかわらず、最終的には取締役となった男性には、感謝し続けた上司がいる。自分自身が部下を持つようになってからは、その姿をならうように責任から逃げないことを心掛けた。

 

昨年、静岡朝日テレビを退職した大長克哉さんは昨年7月、静岡市にある自宅1階にカフェ「soraniwa」をオープンした。50代以上の静岡県民にはニュースや情報番組を担当していたアナウンサーとして広く知られ、取締役まで務めた。順風満帆なテレビ局勤務に見えるが、入社直後に失格の烙印を押されるアナウンサーだったという。

 

「元々アナウンサーを目指していたわけではなく、たまたま受かった形だったので実際にアナウンサーになったら大変でした。滑舌は悪いし、実況は下手だし、何をやっても駄目でした」

 

数分間の定時ニュースで毎日のように失敗を繰り返す。大長さんは開局したばかりの静岡朝日テレビにとって初の新人アナウンサーだった。期待が大きかった分、失望も大きかった。周囲からは、こんな声が聞こえてきた。

 

「誰が、あんなアナウンサーを採用したんだ」

テレビ局を退職後に静岡市でカフェをオープンした大長さん

■「お前を取ったのは俺」 毎日叱ってくる異色の上司

上司たちはかかわりを避けるように大長さんと距離を取った。しかし、その中に1人だけ、毎日叱ってくる上司がいた。落ち込む大長さんがニューススタジオから出てくるのを待ち構え、その日の反省点をフロアに響き渡る声で指摘してくる。その上司は周りに聞こえる声で、繰り返した言葉があった。

 

「お前を取ったのは俺なんだよ。お前の出来が悪いと、俺までここに居られなくなる。責任があるんだよ」

 

1年ほど経った頃、ミスをして叱られた大長さんは感情を爆発させた。「僕なんか取らなければよかったじゃないですか。もう、アナウンサーを辞めます」。大半の上司なら謝ったり、慰めたりするが、その上司は違った。大長さん以上の大声で「採用試験を受けに来たお前が悪い」と叱った。そして、「今アナウンサーを辞めても、ろくな生き方ができない」と3時間も説教した。大長さんは「辞めさせてもらうことさえできませんでした」と懐かしむ。

 

上司からは「3年経って成長しなかったら、責任を取ってお前と一緒に辞めないといけない」と言われていた。その3年目、東伊豆町のホテルで24人が死亡する火災が起きた。現場に入ったのは大長さんだった。抜擢されたわけではなく、アナウンサーが不足していたためだった。

 

■現場で強さを発揮 周囲の評価一転に「大人の世界は…」

連日、全国ニュースとなり、大長さんは朝から夜まで現場の状況を伝えた。しゃべりが上手くないと自覚している分、現場でしか分からない情報を必死に集めた。「テレビ朝日からは、静岡朝日テレビには、あのアナウンサーしかいないのかと言われるくらい、ずっとリポートしていました」。経験を重ねて自信がついてきた大長さんの中継は上達していった。テレビ朝日からも評価されると、社内の見方が変わるのを感じた。

 

「今まで『あいつを採用したのは誰だ』と言っていた上司が、次々と『あいつを取ったのは俺なんだよ』と言い始めました。大人の世界は嫌だなと。今でも忘れないですね」

 

その後も大きな事件や事故が起きると大長さんは現場に入り、フットワークの良さを発揮した。入社5年目には平日の帯番組でMCを任され、アナウンサー失格の烙印は消えていた。大長さんは言う。

 

「唯一、自分を見捨てなかった上司には当然、社員採用の最終決定権はありません。その上司より立場が上の人は、たくさんいました。それでも『お前を取ったのは俺』と言い続けてくれたのは、責任は自分が取るというメッセージだったと感じています。本当にありがたかったですし、その上司がいなかったら自分の人生は違っていたと思っています」

ジャズが流れ、大きな窓から空が見える席もあるカフェsoraniwa

■部下を持って大切にした責任取る覚悟と褒め方 

後に部下ができた大長さんは「責任から逃げない」、「部下を守る」と心に決めた。毎日一喝して決して褒めることがなかった上司とは正反対の性格。温厚な大長さんが部下に怒声を浴びせることはなかったが、責任を取る覚悟は引き継いだ。

 

部下を持つ立場になって、もう1つ心掛けたのは「褒め方」。相手に興味を持たなければ、相手に響く叱り方や褒め方はできない。大長さんは、こう話す。

 

「褒めるところを見つけられない人は、周りに関心がないんだと思います。自分の仕事を見てくれている、変化に気付いてくれる先輩や上司がいると知るのは仕事をする中で助けになりますし、人を育てる上で大事だと感じています」

 

例えば、アナウンサーが3分間の生中継を担当したとする。3分の中には、上手くいった部分と、思うようにいかなかった部分がある。大長さんは、すでに本人が強く反省しているところは指摘しない。どのコメントが、なぜ良かったのか。それまでの中継と比較して、何ができるようになったのか。次の中継に向けて、どんな改善点や準備が選択肢になるのかなどを伝える。

 

■ベストな言葉やタイミング 部下に響く褒め方を意識

「褒め方や指摘の仕方、タイミングは相手によります。失敗してボロボロになっている時に指摘しても、一層落ち込ませるだけです。普段から部下に関心を持って、通り一辺倒ではない、相手にふさわしい褒め方を考えていました」。

 

大長さんは、アナウンサーをしていた数十年前に褒められた記憶が今も残っている。ボージョレ・ヌーヴォーが日本で流行になった時だった。当時、MCをしていた番組で「ボージョレの解禁は、静岡で言えば新茶の初取引にあたる」と表現した。

 

このコメントを普段、全く褒めないディレクターが大絶賛。大長さんとしても良い言葉を選択できた感覚があっただけに「自分の仕事に関心を持って評価してくれる人がいるのはうれしかったですね」と語った。

 

テレビ局を退職して1年が経った。「どこまで理想の上司になれたかは分かりませんが、心掛けは忘れずにいました」と大長さん。仕事をする上で、上司の存在は小さくない。部下を守って責任を取る覚悟や部下の褒め方が、次の世代へ継承されていると願っている。

 

(間 淳/Jun Aida

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