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2026/07/22

顔面死球で骨折のトラウマ ほぼ完璧なバントがファウル 2年で戦力外のオリックス外野手

■「改装していなかったら…」 プロ初のバントがファウル

プロでの痛恨のバント失敗は、社会人時代に伏線があった。静岡県焼津市出身で元オリックス外野手の庄司大介さんは、2000年ドラフト9位でプロ入り。1年目の9月に1軍デビューを果たすと、2年目の夏場にはプロ初先発のチャンスが回ってきた。だが、その第1打席で送りバントをファウルに。結果的に四球で出塁したものの、首脳陣から厳しく叱責された。

 

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2002年7月6日、グリーンスタジアム神戸で行われた日本ハム戦。「9番・右翼」でプロ初の先発出場となった庄司さんは、2回無死一、二塁の場面で打席が回ってきた。セオリー通り、三塁手に捕らせようと三塁側へのバント。だが三塁線を切れてファウルになった。

 

「改装してなかったら、切れてないんですよ」。同年の開幕前、グリーンスタジアム神戸はメジャー仕様に球場を改装。「内野のアンツーカーのところに芝生のくぼみがあって、そこにコロッとボールが転がった勢いのままファウルになったんです」と振り返る。

 

「ほぼ完璧なバントだったんです。野手も投手も見送っていて、フェアなら内野安打でした」。運命のいたずらで、プロ初安打は幻に。結局、四球を選んで出塁し、チームはこの回一挙7得点。試合も10-5で勝利したが、序盤の大事な局面で送りバントができなかった庄司さんは、試合後のミーティングで石毛宏典監督から「こらっ、庄司! バントもできへんのか!」と厳しい声をかけられた。

現在は都内の事務所で買取事業などの仕事をしている庄司さん

■「その顔治るんだよね?」 顔面死球で顎を複雑骨折

静清工(現・静清)時代は投手で打順は下位が多かったため、よくバントのサインが出て対応していたという。だが、国士舘大2年で野手に転向して以降は中軸を担い、ほとんどバントはしていない。オリックスでも2軍で4番を打ち、バントする機会はそれまでなかったのである。

 

そんな中、バントには河合楽器時代のトラウマもあった。入社3年目の1999年の都市対抗予選。ヤマハとの一戦で無死一、二塁の好機で打席が回ってきた。社運をかけた都市対抗出場がかかった大一番。庄司さんが調子を崩していたこともあり、送りバントのサインが出た。

 

ヤマハのマウンドには岡本真也投手(中日-西武-楽天)。初球のスライダーをファウルにした。2球目。「決めなきゃいけないと思ってギュッと構えたんです。初球のスライダーが頭にありました」。本塁ベースにかぶさるように構えていたところに、内角シュートがきた。

 

懸命によけたが間に合わず顔面死球。その場に崩れ落ちた。気がついたら監督、チームメートが囲んでいる。「窒息死しちゃうから口の中のものを吐けと言われて吐いたら、血がドバッと出た。しゃべろうと思ってもしゃべれない状態でした」。そのまま救急車で搬送。顎を複雑骨折しており、入院して手術となった。

 

「メチャクチャ腫れましたね。もう2倍くらいになっている感じ。彼女がお見舞いに来たんですけど『その顔、治るんだよね?』と心配するぐらい、ひどい腫れ方だったんです」

オリックスで2年間プレーした庄司さん

■バントを猛特訓も出番なし プロ2年間で戦力外通告

かみ合わせを整えるため、針金で矯正。「まず痛み止めの注射を歯茎に打つんですけど、それがメチャクチャ痛かったんです。それから針金を口の中にグリグリ入れてくる。痛み止めを打っているのに、これまたメチャクチャ痛い。痛み止めの注射が痛いのか、グリグリやられているのが痛いのか、もう分からない。治療台で汗だくでした」。悪夢のような記憶である。

 

プロ初先発でのバント失敗は「そのトラウマがあるんですよ」と回顧する。同じ無死一、二塁の場面。顔面死球の恐怖が、頭をよぎるのは仕方がなかった。

 

石毛監督からは「その後の四球は評価しよう」と言われた一方、コーチ陣からバント練習の指示を受け、翌7日は悪夢を振り払うため室内練習場で猛特訓。「指が腫れるまで練習しました。『もう大丈夫やろ。バントできる』と思ったんです」。ところが出番が与えられないまま、翌8日に出場選手登録を抹消されたのだ。

 

「監督の『評価しよう』って何だったんでしょうね」。結局その後は1軍から声がかかることはなく、オフに戦力外通告。2年間で1軍出場はわずか2試合とチャンスが少なかったのは「ドラフトの指名順位もあるでしょう」。契約金0円の9位指名で、今で言えば育成選手のような立場であり、しょうがない部分があったと自分に言い聞かせている。

 

プロ野球生活は2年で終わり、セカンドキャリアは不動産業などさまざまな職業を経験。今年4月からは東京都内の事務所で買取事業などに取り組む。ここまで決して順風満帆ではなかった。それでも、一つひとつの経験を糧に新たな道を切り開いてきている。泥くさく歩み続けてきた庄司さんの挑戦は、まだまだ終わらない。

 

(尾辻 剛/Go Otsuji

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