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2023/07/30

犬の殺処分ゼロ 流産への理解広げる活動 現役サッカー選手が株式会社を設立したワケ

サッカー選手と会社経営者、二足のわらじを履く町田ゼルビアの鈴木選手

■FC東京から7月に町田ゼルビアへ移籍 沼津市出身の鈴木準弥選手

J3からJ1まで上り詰めたからこそ、影響力の違いを肌で感じている。静岡県沼津市出身でFC町田ゼルビアに所属するDF鈴木準弥選手は現役のプロサッカー選手でありながら、会社の代表取締役でもある。サッカー関連事業の他に、犬の殺処分ゼロを目指す活動や流産の理解を深める活動にも取り組んでいる。現役を引退して第2の人生で起業するアスリートが一般的だが、ユニホームを着ている今がベストと判断した。

 

27歳。サッカー選手としては体が動き、経験も積み重ねた最も理想的な年齢と言える。鈴木選手はJ1のFC東京から今月、J2の首位を走る町田ゼルビアに移籍した。

 

現役サッカー選手の鈴木選手には、もう1つの顔がある。「株式会社 準弥」の代表取締役。昨年7月、自身の会社を立ち上げた。事業内容には鈴木選手が武器にするキックを教えるスクールといったサッカー関連に加えて、犬の殺処分ゼロや流産を経験した夫婦のサポートも掲げている。

 

なぜ、引退してからではなく、現役サッカー選手の今、起業したのか。鈴木選手が理由を語る。

 

「現役だからこそ、取り組みに意味を持たせられると考えました。元サッカー選手、元アスリートはたくさんいます。もちろん、その方たちにも影響力はありますが、現役のプロ選手が与える影響は、それ以上に大きいです。鈴木準弥という1人の人間よりも、FC東京の鈴木準弥に価値があると感じています」

 

■J3からJ1に上り詰めて影響力を実感 今が起業の時

同じ発言や行動でも、肩書きによって周りの反応は大きく変わると鈴木選手は体感してきた。日本でプロのキャリアをスタートしたのは2019年。所属していた藤枝MYFCは当時、J3だった。その後、ブラウブリッツ秋田でJ2の舞台に立ち、2021年のシーズン途中にFC東京へ移籍した。J3からJ2、J1とカテゴリーが上がるにつれ、自身の影響力が大きくなっていると感じた。

 

「J3の時はSNSのフォロワーが増えませんでしたし、自分の活動や発言があまり広がりませんでした。同じ発言をしても、J1の選手というだけで耳を傾けてもらえると感じています。思い入れがある活動を始めるなら、現役選手の今を逃すのはもったいないと思って起業しました。会社という形を取ったのは、キックスクールも、犬の殺処分や流産の問題も本気という姿勢を示したかったからです」

 

鈴木選手にとって犬は人生に欠かせない。その付き合いは長い。小学生の頃、実家ではミニチュアダックスフンドを飼っていた。泣き虫で家族以外とコミュニケーションを取ることが苦手だったという鈴木選手。家で過ごす時間が長かったことから、両親が犬を家族に迎え入れた。

 

現在は妻と2人の娘、さらにトイプードルのポテトと生活している。鈴木選手はポテトを一番の相談相手にしている

 

「犬なので言葉は通じないかもしれませんが、ポテトに話をすると理解してもらえている気がします。試合に出場できていない時も、ポテトに話を聞いてもらいます。自分を支えてくれる存在ですし、話をしながら自分の頭や心が整理されていると感じています」

愛犬ポテトを抱く鈴木選手(公式Twitter@SJunyaaより)

■コロナ禍で知った犬の殺処分問題 情報発信以上の役割を

犬の殺処分の問題に取り組むきっかけとなったのは、新型コロナウイルスが流行した2019年だった。グラウンドで練習ができず、自宅で過ごす時間が増えた。虐待、殺処分、多投飼育崩壊など犬に関する受け入れがたいニュースをいくつも目にする中、行動を起こさずにいられなくなった。

 

当時住んでいた秋田県で秋田犬を保存する活動に参加したり、動物愛護センターを訪れたりした。殺処分される犬の数自体は大幅に減っているが、保健所に引き取られなかった犬を処分する業者があることや、飼育放棄された犬を受け入れる保護団体の負担が増えていることなどを知った。

 

「サッカー選手として考え方を発信するだけでは不十分だと思いました。微力ですが、殺処分される犬を1匹でも減らし、最終的にはゼロしたいです」

 

流産への理解を深める活動も、行動を起こさなければ現状は変わらないという使命感や危機感からだった。2人の娘に恵まれた鈴木選手だが、最初の子どもは流産で亡くしている。当時を、こう振り返る。

 

「流産を経験するとは全く予想していなかったので、子どもができたことを喜んで周りにも伝えていました。心拍を確認して母子手帳をもらってから流産しました。産婦人科の先生からは『両親のせいではない』と言われましたが、悲しすぎて会話をするのも難しい状態でした」

 

■流産の経験者をサポート 「コミュニティを選択肢に」

流産の手術を受ける産婦人科の待合室には、お腹の大きな妊婦や赤ちゃんを抱っこする母親がいた。手術を終えて自宅へ向かう途中には、我が子と手をつないで歩く夫婦がいる。「なぜ自分たちだけ、こんなにつらい思いをしないといけないのか」。事実を受け入れるまでには時間が必要だった。

 

その後、妊娠や出産に対してアンテナを高くしていると、自分たちの経験が決して珍しくないと気付いた。鈴木選手は自身がつらい思いをした当事者だからこそ、できることがあるのではないかと考えるようになった。

 

「流産を人に話したくない人はいます。ただ、同じ経験をした人と交流して救われる人もいると思います。選択肢の1つとして、前を向けるようになるコミュニティが必要だと考えています」

 

鈴木選手は妻の協力も得て、流産の経験を発信している。流産経験者をサポートし、流産に対する理解を社会に広める目的がある。鈴木選手は「妊娠や出産に関しては、何気ない言葉が相手を傷つける可能性もあります。子どもたちにも伝えて、配慮できる社会にしていきたいです」と語る。

 

プロサッカー選手として、本業で結果を追い求めることは言うまでもない。ただ、限られた人だけが手にできる肩書きを持っているからこそ、グラウンド外でも果たせる役割がある。

 

(間 淳/Jun Aida

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