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2024/02/10

格闘家転身も「めちゃくちゃ考えた」 戦力外から再びプロ野球をやると決めたワケ

ロングティーをするくふうハヤテの居谷捕手

■くふうハヤテ・居谷匠真捕手 昨季ソフトバンクを戦力外

格闘家への転身も真剣に考えた。だが、もう一度野球を続けようと決めたのは「人のために」という気持ちが消えなかったからだった。昨シーズンのオフにソフトバンクを戦力外になり、今シーズンからくふうハヤテベンチャーズ静岡でプレーする居谷匠真捕手は母親をはじめとするお世話になった人に恩返しするため、再びNPB12球団入りを目指す。

 

くふうハヤテは3月中旬に開幕するプロ野球2軍のウエスタン・リーグに向けて、本拠地「ちゅ~るスタジアム清水」でキャンプを続けている。9日に第3クールを終え、2日間の休日を挟んで実戦的なメニューが増える第4クールへ入っていく。

 

グラウンドで大きな声を出し、結成したばかりのチームを盛り上げている選手の1人が、昨シーズンまで育成選手としてソフトバンクに所属していた居谷捕手だ。モチベーションを高く練習しているワケは、見据える舞台があるから。再びNPB12球団のユニホームを着て、今度こそ支配下登録を勝ち取る覚悟を決めている。

 

「野球は人に感動を与えられます。自分が活躍しているところ、全力で頑張っている姿を喜んでもらえたら、めちゃくちゃうれしい。それが一番の幸せです。野球を観た人が元気になったり、野球をやってみたいと思う子どもたちを増やしたりするプレーを見せたいです。自分のためよりも、人のために頑張る方が力を発揮できます」

フリー打撃で外野守備に就くと大きな声でチームを盛り上げる

■野球続けるのは限界…「戦力外にホッとした部分あった」

明確な目標を掲げて前向きに取り組む居谷捕手だが、現在の心境に至るまでに気持ちを整理する時間が必要だった。戦力外通告を受けた時、心のどこかに安心感があったという。

 

「人間関係の難しさもあって、野球が好きという気持ちがなくなりつつありました。野球を続けるのは限界かなと思っていたので、戦力外になってホッとした部分がありました。でも、今までお世話になった人たちの顔が浮かんで、このまま終わって良いのかという気持ちが芽生えてきました。色んな人に支えてもらったのに、まだ恩返しできていませんから」

 

一時は野球以外の道を具体的に描いていた。格闘家への転身も、その1つだった。居谷捕手は幼稚園から小学5年生まで新極真を習っていた。小学4年生で野球を始めるまでは格闘技に没頭していただけに「戦力外になった時、格闘家になる選択肢は、めちゃくちゃありました」と話す。ただ、高校卒業後にプロ入りしたため、まだ21歳。野球をあきらめるには早いと考えた。

 

「野球をしている姿をお世話になった人に見せたい。もう1回、気持ちを入れて向き合おうと決めました。野球を一度離れたら戻るのは簡単ではないので、やれるところまでやり切ろうと思いました」

くふうハヤテでは選手やコーチたちが練習の準備や片づけ

■努力は当たり前 「母親の頑張りに比べたら大したことない」

特に活躍を見せたい人がいる。子どもの頃から誰よりも自分を理解し、支えてくれた母親。居谷捕手は小学生の時から素振りを欠かさず、強豪校の大分・明豊高校に進んでからも毎朝5時半に起きて筋力トレーニングや素振りを日課にした。1日も休まず自主トレを続けられた理由を、こう話す。

 

「野球はお金がかかります。自分が寝ている時間も母親が仕事や家事をしてくれたから、野球を続けられました。母親の頑張りに比べたら自分の努力は大したことないですし、早起きして練習するのは当たり前だと思っていました。母親に恩返ししたい気持ちは今も変わっていません」

 

ソフトバンクでは支配下登録を勝ち取れず、1軍の試合に出場できなかった。肩の強さと選球眼には手応えを感じた一方、守備力に課題があったと自己分析する。くふうハヤテでは、守備の安定感をテーマにキャンプを過ごしている。

 

「高校までは打撃がアピールポイントでしたが、プロの捕手は守備力が問われます。守備で集中力を欠いたミスをなくしていかないと、1軍の舞台には立てません。ブルペンにも積極的に入って、捕手としての技術を磨く意識を持っています」

 

NPB所属経験のある選手はシーズン中でも既存の12球団に移籍できる。母親のため。支えてくれた人たちのため。プロ野球選手憧れる子どもたちのため。居谷捕手には高みを目指す理由がある。

 

(間 淳/Jun Aida

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